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自分の生き方・社会について

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

よろしくお願いいたします。

最近、私の周りでご不幸が会った方や離婚をなさった方、難病が見つかった方そのほかにもいろいろな方がいらっしゃいました。また、そのとき私自身も濡れ衣を着せられたため、親友だと思っていた人に裏切られるなどの悲しい体験を立て続けに経験しました。

それまで私は親の庇護の元にぬくぬくとなに不自由なく過ごしており、また今もそうですが、世間の厳しさや醜さをまじまじと見る機会がありませんでした。

そのため上の経験をして、世の中というのがどんなに危険な場所なのか。
世界は平和で、夢と希望にあふれていて、救いに満ちていて、
人と人は愛し合うために生まれてきて、仲良くするべきで、子供は幸せになる義務があるなんていう甘いことを言うと簡単に足元をすくわれてしまうかを学びました。

二つ質問をさせて頂きます。

一つ目
なぜ世の中は負のもののほうが強いのでしょうか。
喜びや楽しみは後々まで続かず、悲しみや苦しみや恨みは続き、
美しいものを作る力と保つ力は壊す力にいとも簡単に押し負け、
善意は悪意に利用され、悪貨は良貨を駆逐して止まず、
真実と真相は必ずしも同じではないというのはなぜなのでしょうか。

二つ目
上のことを思いながらも自分自身が怒りや恨み嫉みが心の中で渦巻くことがあります。そんな自分が上のことと同じであると考えるだけで吐き気がします。
私自身は笑顔を人に振りまける、自分の周囲が幸せに笑ってくれるような人になりたいです。どうしたらよいでしょうか。

二つも質問をしたうえに長々と書かせていただきました。
もしお目に留まったのならば、よろしければ未熟者である私が歩く道をご教授ください。
失礼いたしました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そんなに悪いことばかりでしょうか

お釈迦様は、「人生は苦なり」と端的におっしゃっています。それを詳しくいうと八苦ということになります。嫌なものと出会う、欲しいものは得られない、愛おしいものは無常だから別れなければならないなどです。つまり雨宮さんのおっしゃる通りです。

ところで、武蔵野大学のケネス田中という先生の本(『真宗入門』)を読んでいて、人生は基本的によいものである、という言葉に出あいました。

私の場合、両親は既に亡くなりましたが二人ともよい親でした。

戦後70年だというので戦争時代のことがよく取りざたされますね。食べるものがない、着るもがない、さらに非戦闘員であっても空襲によりつねに生命の危険にさらされているという時代だったようです。すべてが戦争一色で暗い時代だったと高齢者は口をそろえてそういいます。

今の日本では贅沢さえいわなければ、たいへん恵まれているといえます。だいたい自分用のPCを持っているからこれを書いていられるのですが、全世界という目で見ればすごいことなのだそうです。

こう考えると、おっしゃることは正しいともいえ、必ずしもそうともいえないともいえます。私自身も他者から嫌なことをされたりして、人間不信に陥っている面もあります。だから偉そうにはいえませんが、雨宮さんのおっしゃることは物事の一面としてはそうでも、今あることに対すして感謝してみる、坊さん言葉で「有り難い」という面から見ていくこともできると思います。

最後に、仏教は感謝の仕方を教えてくれていると私は思いますので、これを機会に仏さまの教えに触れ、恨みや怒りを抑え、感謝や喜びが大きくなっていく真理に出あっていただきたくことを願っています。

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有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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煩悩に注意と慈しみを

一つ目の質問について
すべては無常なのにそうではないことを期待し、期待が裏切られるから、負のもののほうが強いと感じるのです。
また、人々には欲、怒り、怠け、プライドの煩悩があるため、悪いことを好んで行い、お互いがお互いを苦しめあっているのです。
怠けの煩悩があると楽して結果を出したいと考えるため、真実を隠し人を騙すのです。

二つ目の質問について
他人の幸せを願うよう意識して生活しましょう。
そして、自分の欠点を一部でもいいからあえてさらけ出しましょう。他人から親しみをもたれます。
自分の悪い心に対しては、「欲、怒り、怠け、プライドの煩悩は悩み苦しみの原因だ」と念じて注意しましょう。
他人の悪い心に対しては、「欲、怒り、怠け、プライドの煩悩は誰にでもある」と念じて怒らず慈しみましょう。
難しいですが、無駄な努力ではなく必ず良い効果があると思って継続しましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
そうですね、他者と比較して自分の幸せを実感するのは失礼なことだとは思いますが、自分の与えられた境遇に感謝して真摯な気持ちで皆と関わりあうことが大切なのですね。
俗物である私は「諸行無常」というものに対して悲しみを感じてしまいますがそこに気持ちの揺るがず、自分の信じることをしてご縁のある方々に感謝していくことを目標としてみます。

和尚様方、悩みを聞いていただきありがとうございました。

「社会復帰・復職・社会に出る」問答一覧

働きたいけど自信がない

現在無職です。昨年11月に勤めていた職場を退職して現在に至るまで就活が進んでおりません。 理由としては自分に自信が持てないからです、病院で受付として勤務していましたが窓口対応以外に何故か入院患者の金銭管理をしてATMに行き代わりにお金を下ろしたり、入院費を請求しに病室や患者家族に電話したりと自分が思っていた受付の仕事との違いを思い知って息苦しかったです。 辞める半年前から突然人手が足りないからと系列のデイサービスで半日働き午後から病院へと行き来することとなり益々やる気をなくしてしまい最終的に逃げるように退職してしまいました。 辞めてからは暫くの間、実家住まいなのですが家事をしたりゲームしたりとダラダラなんとなく過ごして今に至ります。 学生のころから何かにつけて逃げ癖があり、アルバイトもしたことがありません。高卒で入った会社はクビになり、そのあと勤めたクリニックも辞めるように勧められてしまい辞めました。それから資格の勉強をして病院に勤めることができたのですが、職場で相手の方になかなか声をかけたり頼ることができずトラブルが多発してミスが増えていきました。 なんとかしがみつこうと耐えてきたのですが、急にデイサービスへの手伝いが増え業務内容に不満を抱くようになりました。 そして退職した今、自分がやってきたことへの自信が全く持てなくなりました。 生きてることすら疲れてきてしまい、逃げるようにアニメやゲームをして気を紛らわせています。 得意なことも、学生のころに頑張ったことも何も自慢できることはありません。そして自信のなさを誤魔化すために嘘をついたこともあります。 こんな私は今世の中にある沢山ある仕事のなかでどれか一つを選ぶことができなくてそれが情けなくて自己嫌悪に陥ってしまっている気がします。 逃げ癖がついてしまって抜けられません。 一歩踏み出して進みたい、立ち止まりたくないと思っております。 長文失礼しました。 ご助言のほど賜りたく存じます、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

復帰をしましたが

元々いた職場へ戻り1か月が経とうとしています。施設に入居している方も数人の変化がありましたがほぼ同じです。相手の方は認知があるので覚えていないようですが。そこで、前からいて何となく覚えている入居者の方がいつもタイミングが悪い時に呼び出しのコールを押してきます。今はコロナ感染者が2名いるので感染対策の防護のようなものを着なくてはなりません。その時にコールが来てしまうと内心で「何故、このタイミングなんだ」と呼ばれた方のところに行った時に多分、表情に出てしまっていると思います。それを直したいのですがダメなんです。一緒に勤務しているスタッフも分かっていて「まただね」と言ってくれます。隔離対応なのでそれがなければ普通に接することが出来ると思います。 せっかく行き始めたて頑張ろうと思い始めた矢先にコロナが出てしまい勤務体制もギリギリです。仕事なのだから当たり前なのですが時間に追われイライラして 入居者に強い口調で接してしまうこともあります。入院生活の経験もあり忙しくても笑顔で対応してくれた看護師の方を見習っていかなければと常に反省の日々です。優先順位も分からなくなっています。介護する大変さを身に染みて感じています。スタッフ同士は助け合って仲間外れにされることなく接してくれています。今のところですが…。私の体調もある程度、理解してくれてることも感謝しています。優しく接することのできない私に今後の生き方を教えて」ください

有り難し有り難し 0
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社会復帰で心が不安定です

大まかな事情はプロフィールに書かせていただきました。 この度長いブランクを経てお仕事を始めることになりましたが、心をしっかりととらえることが出来ず不安で仕方ありません。 仕事をしていない歳月はずっと心に腫瘍があるようでした。 自分の家庭の事情では仕事は難しいと思いつつ、それでも本心では友人たちが迷うことなく定住し、家族親族が身近にいて、手厚いサポートを受けながら社会復帰していくのを羨ましく思っていました。 そうして普段は平然としていても年に何回かは心の腫瘍が破裂して数週間ひっそりと落ち込むのが当たり前でした。 今回は、自分でも何がきっかけか分からないのですが、気がついたら求職活動をしていました。 先方のお話が興味深く面白く伺っていたら、ありがたいことにご縁をいただけました。 あっという間の出来事だったので、未だに現実味がありません。 長年欲しかった機会を得られた夢心地である一方、私がかつて持っていた知識の多くを失っている事実に直面し、老化、無力化、浦島太郎状態という現実に途方に暮れています。 頭の冷静な部分では 失った時間は仕方がないのだから一つ一つコツコツと埋めていくしかないと分かりつつも 気持ちは不安でぐにゃぐにゃと苦しく 焦る気持ちでいっぱいです。 さらにはその心の中でずっと抱えてきた腫瘍が小さくなっていくのを感じ、浮かれてふわふわしている自分もいます。 そんな風に心がとっちらかってしまって 定まらず いつも静かにパニックを起こしています。 この状態のままお仕事が始まる日を迎えてしまったら、相手や家族にも迷惑をかけてしまいそうで不安で仕方ありません。 どうしたらしっかりと構えることが出来るでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

一体オトナとは。

成人したら皆大人になるんだと思っていました。身近な家族や学生時代のアルバイトを通じて出会った方々は、未成年の自身からは大人に見えていたので。 成人して社会生活を送っていますが、実際は大人の年齢をした小学生ばかりです。冷静に大人の対応を出来る方の方が稀に感じます。 最近は自身がどうあるべきか、どう立ち回ることが正解なのかよくわからなくなってしまいました。 感情的に物事を言ってくる人、相手の状況を加味せずに行動する人、屈辱感を味合わせてくる人。私も人間で心があるので何を言われてもされてもいいわけではありません。 そういう人たちを私はある意味では社会の被害者だと考えています。きっと同じように誰かに傷つけられてきたことを他の人にもしている。一体何故でしょう。 「相手にそういうことをするということは、自分がされてもいいということだ」と思い、私も相手に同様の態度を取った時に相手は激しく反応をしてきました。自己防衛なんですよねきっと。相手にはしていいのに、自分はダメというのが理解できません。 成人する前の私はきっと世間知らずでキラキラとしていたのかも知れませんが、今は社会によって傷つけられ、カビの生えた茄子みたいなものです。いっそのことその人達みたいに傷つけられる前に傷つけてやろうという考えを持ち始めてしまいました。 お坊さんにとっての大人とは何でしょうか。どのような考え方が大人ですか。 相手に傷つけられた時、感情的な態度を取られたときなどの感情の整理方法も教えてほしいです。何もかもわかりません。考えれば考えるほど、自分がよく分かりません。 それと、恋人に対して自分の感情をどれくらい表現していいのかわかりません。 ポジティブ感情は見せられて嫌な人はいないと思いますが、ネガティブ感情の怒りや悲しみなど。 ありのままの自分をだせる関係がよいのかもしれませんが、衝突することも多く、悲しいことですが、会社と同じで常に冷静に立ち回るべきなのかと考えています。考えすぎなのでしょうか。もう成人したら大人としてふるまわないといけないのでしょうか。 今のところ自分のすべてをさらけ出して安心できるのは祖母だけです。いなくなったら耐えられません。

有り難し有り難し 24
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ