クリスマス、年末年始…いつも独りぼっち
性格上の問題なのか、誰かといてもいつも孤独です。
人の集まりで人の輪に入るのが苦手です。
心の内を語るのが怖いです。
過去に裏切られたことがあり、次も裏切られるようで…
たまに楽しい時もありますが、あまり深い付き合いをする人は少ないです。
2人ほど心の内側を語れる友人はいますが。
それはとても恵まれていると思っています。
気の合う人や私に合わせてくれる方との少人数での集まりは好きです。
職場では本音など言えません。
職場はお金を稼ぎに行く場所と割り切っています。
職場の人とは距離を置くようにしています。
ですから仕事以外の付き合いは一切しません。
飲み会、忘年会もいつも不参加です。
趣味でヨガをやっていますが、そこでも人間関係があり、集まりがあっても上辺だけの会話になります。
たまに飲み会などあるのですが、みんな楽しそうにやっているのに独り孤独でいる自分がいます。
楽しめていません。
いっそのこと行かない選択もあるのでしょうが、なんだかんだで参加してしまいます。
本音はみんなと仲良くしたいです。
40歳も過ぎたどちらかというと50歳に近い大人が恥ずかしいですが、コミュニケーション能力を高めたらもっと生きるのが楽しくなるのではないか?とも考えています。
私は、今、非正規雇用で仕事をやっています。
待遇は恵まれている方だと思うのですが、やはり人より劣っている、自分は惨めだ…といつも考えています。
問題はそこだけではないと思います。
いい仕事についてお金をたくさん稼いでいた時期もありますがそれほど幸せではなかったですから。
結婚もしたいし彼女も欲しいですが、こんな状態ではとても幸せを分ける自信がありません。
他人と比較することなく、自分を出していけたらもっと幸せになれると思いますが、そんな私をお坊さんはどう思われますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問の中に答えがあります
こんにちは。
私もひとりでいる期間が長かったので、お気持ちよくわかります。
一方で私はひとりでいることが好きなので、うらやましい気持ちでもあります(笑)。
過去の質問を含め拝読し、こんな事を申し上げると怒られるかもしれませんが、あなたは「孤独な自分」にどこか酔っているようにも見えます。「ひとりぼっちな惨めな自分、だけどそんな自分が好き」って。どうかな?違ったらごめんなさい。でももしそうだったら、まずそれを自覚してください。それが第一歩です。
「小確幸」という言葉があります。小説家の村上春樹さんの造語です。
これは、「小さいけれども確かな幸せ」という言葉の略語で、人生あまり欲を持たなくても、小さいながらも確かな幸福を感じて生きていけばそれなりになんとかなるという意味なのだそうです。「冬の夜に猫が布団に入ってくる瞬間」など。仏教には「少欲知足」(しょうよくちそく 欲を少なくし、足りている事を知るという事)という言葉があります。「小確幸」は仏教にも通じる言葉だなぁと思いました。
さてあなたの質問の中に「(心の内側を語れる友人がいて)それはとても恵まれていると思っています。」とか「(仕事の)待遇は恵まれている方だと思う」とあります。それで充分じゃないですか。「小確幸」です。
また質問中に「他人と比較することなく」とあります。まさにその通り。比べる気持ちがあなたを苦しめます。
幸せは、やってくるものでも、つかむものでも、比べるものでもありません。すでにあるという事に気づく事です。あなたも自分自身の「小確幸」を探してみましょう。
質問者からのお礼
光禪様
ありがとうございます。
心に染みました。
孤独な自分に酔っている…
そんな自分が好き…
もしかしたら自覚していないだけでそうなのかもしれません。
いいえ、自分がそう導いているので多分、独りが好きなのだと思います。
でも他人は一人じゃない、幸せそうにしている、それと自分を比べてしまうと劣っていると感じるので、それを認めるのが嫌で意固地になっている…そんな自分は多分います。
現状でそこそこ幸せなのに他人と比べてしまうので、欲が出てきます。
小さな幸せをわかっていません。
幸せは、やってくるものでも、つかむものでも、比べるものでもない。
すでにあるという事に気づく事。
わかりました。
自分の「小確幸」をもう少し見つめてみます。
本当にありがとうございました。