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恋愛は幸せをもたらしてくれるのでしょうか?

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有り難し有り難し 12

いつも皆様の問答を拝見し人生に役立つヒントをいただいています。今日は勇気を出して自分のことを相談しようと思います。宜しくお願いいたします。
ここ数年、好きになる相手が既婚者であったり、ヒモ体質のろくでなしだったりと恋が実を結んだことがありません。
7年以上「おひとり様」状態を過ごしており、このままではダメだと婚活サイトに登録し、2ヶ月前に一人だけ良いなと思える人が見つかり先月に2回会って食事をしました。
相手の方も私のことを気に入ってくれて。婚活サイトも退会し ほぼ毎朝「おはよう」の他に一言だけ添えられたメールをくれます。今は仕事が大変忙しいらしく毎日帰宅が0時近くになるとのことで、次に会う約束はできていません。

会えないならせめてもう少しメールや電話をしたいなとは思うのですが、私も彼ほどではありませんが平日は仕事が忙しいのでそんな時にはメールも電話も面倒だという気持ちも分かりますし、第一お付き合いしているわけではないので「もう少し私のことを構って欲しい」などというワガママは言えるわけもなく「忙しいのだから悪いな。私だって良い大人なんだから我慢しないと」と思ってしまって自分からは一日の終わりに「お疲れ様。ゆっくり休んでね」といったメールを送ることしかできません。

私はこの方とお付き合いしたいと思っているのですが、こんな状態では進展もしない気がしますし、もう何年もまともな恋愛をしていないのでどうしたらお付き合いまでもっていけるのか?相手にもっと気に入ってもらえるのか?仮にお付き合いすることになったとしてどうしたら末永く仲良くやっていけるのか?等々悩みすぎて最近疲れてしまいました。
相手が既婚者でもなく、ろくでなしでもなくとも人を好きになることは苦しいことだなと毎日心が晴れません。
こんな状態ですから私はこの先ずっと一人なのではないか?その方が幸せなのではないか?自分でもどうしたいのか分からない状態です。
私はどうしたら良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

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自分の生涯のパートナーとなる方に対して、隠し事はNGです。
男性は、女性のそういう弱さを示してくれるところに男性的な母性、父性、守ってあげたい力が沸くのです。
ここに勇気をもってご質問くださったように、その方に、自分の心の内を明かすのですよ。
いい恰好を見せようとか、より良く見せることって、疲れるだけですし、仮面夫婦号999コリン星まっしぐらですから、今すぐやめることです。
自分の全てを明かせるお相手。
それが、おパートナーというものです。
おパートナーにお隠し事はお禁物ざます。
お隠し事なく、そのままをお伝えすることざます。
男性ならば、あなたのその悩みをそのまま明かせば可愛らしく感じるものですよ。
それでドン引き、ひかれるような小さい相手なら結婚もせん方がいいですよ。
そのままメールを見せるとイイですよ。
3,4行目の元カレネタはヒかれると思うのでは要削除ですが。(笑)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
相手のことを逃したくない一心で自分の気持ちには蓋をしてしまっていました。パートナーはありのままの自分で居られる方でないとどちらにせよ長続きしませんよね。目が覚めました。機をみて彼に本音をぶつけたいと思います。

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