後継者のいないお墓について
質問をさせていただきます。
どうぞよろしくお教授くださいませ。
去年、父が他界し、遺族は、母と姉妹です。
そこで、皆で話し合いをし父の先祖が眠る菩提寺にお願い致しました。
しばらくし、母から
『自分が死んだら3年で墓じまいをしてくれればいいから。』と。
日頃からとても頑固で思い込みの激しい人なのですが
「なんて勝手な人なんだろう。」と、思いましたが、亡くなってばかりの父がいるので。と、我慢をしていました。
それでも話は聞かないまま「遺言を書くから。。結構!」と。
しかも、次々の暴言と行動と態度に心が折れてしまいました。
生きていると思うのは、生かされていると気づくこと。命を頂いた先祖がいて自分がある。ということと、お詣りをする方が優しい気持ちになってあたらめて気づかされることだと教わりました。迷惑をかけたくないという気持ちは理解していますが、、、
ただ、菩提寺は父の家の先祖代々がとても大切にしてきたお寺です。
言いかえれば「3年して用が済んだら、永代供養に入れてくれればいいわ。」と言うこと。とてもではありませんが、そのようなことはできません。なによりその考え方は違うのではという、想いになります。
「そうすればいいじゃん。お金もかかんないし。」と、妹は
母の機嫌を曲げないように言いますが、
それなら、自由にできる公園墓地という選択もあると説明したときに
なぜ「あんなとこ気持ちが悪いっ!」と、言うんだろ・・・
それは、お寺にあると言いたいための自分のプライドのためなのではないか・・・
今考えることはこの程度しか思いつかなく、
この話に違和感を感じるので、距離を置いて考えています。
姉妹ですから、いずれはそのような事態になったらお寺に相談すれば良いこと。と、漠然と考えてもいました。
父への想いもありまだ皆心がまだ落ち着かないところに、このような話を、どのような方にお伺いすれば良いか。菩提寺のご住職にでもお電話でもしてなだめていただこうか。いや、私のこの考え方は「いまどき」じゃないのかな。。。とも不安にもなってきました。
よいお知恵を賜りたく、ご相談申し上げます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ルーツへの思い
るんびんバーニさま
なごみ庵の浦上哲也と申します
昨年お父さまが亡くなられたとのこと、まずはお悔やみを申し上げます。
まだまだ悲しみや寂しさが深いなか、思い込みが強いお母さまとは意見が合わず、妹さんもその場しのぎを対応をしているように感じられ、悲しみがより深まっているのではないかと拝察いたします。
お母さまは、子どもは娘だけだから…
1:姓が変わって墓の継承が困難
2:姓が変わらない→結婚しない→次の代がいない(可能性が高い)
ということを考え、墓じまいということを仰っているように思います。
ただ、自分は一度お寺のお墓に埋葬して3年は弔って欲しいということも仰っているので、そこはずいぶんと身勝手な気がします。
一方、るんびんバーニさんの、自分のルーツである先祖を大切にしたいというお気持ちは、とても尊いものだと思います。「先祖を供養する」という文化は世界中にあるわけではなく、儒教をベースとした東北アジアに強い考え方ですが、私は先祖(過去)を大切にするということは、その延長線上である現在、そして未来をも大切にすることに繋がっていると考えています。
ただお母さまは、そう理解していないでしょうし、頑固ということですから考え方を変えさせるのは菩提寺の住職に入ってもらっても難しいことでしょう。
そうなると、あとは姉妹でしっかり気持ちと意見を繋いでおくことが大切かと存じます。お母さまは遺言を書くかもしれませんが、弔いをするのは遺された者です。お母さまの意見も汲み取りつつ、でも弔う側が心穏やかになるような着地点を見つけるのが良いのではないでしょうか。
お墓の後継者問題は日本社会の構造変化と共に表面化し、現在はどの形が本当に良いのか模索する時代だと思います。お母さまがお年を召した時、また子である娘たちが老境になった時、より良い方法が見つかっているかもしれません。
ですので今は、あまりお母さまと意見をぶつけて心をすり減らさないようにして、穏やかにお父さまを偲ぶ日々を送ることを念頭に置かれてはいかがでしょうか。
★お礼 拝見
先祖や菩提寺などに支えられていることを感謝するのは、豊かなことだと思います。ぜひそのお気持ちを大切になさってください。
蛇足ですが、リンク先ご覧ください。
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2016-07-12
頼れる場所
お母様はあなたがたに迷惑をかけたくないという気持ちがあるのかもしれませんね。近年後継者のいない家庭の墓じまいはよくある話です。もし今後もあなたが墓を守れるのであればもう一代はお墓を存続できるでしょう。
お墓は残された家族の拠り所になります。どんな形にしろ、残された家族がお参りできる場所は欲しいですよね。
質問者からのお礼
なごみ庵
僧正様
>意見を・・・心穏やかに偲ぶ日々を念頭に
この度は、暖かいお励ましのご回答を賜り心より深謝申し上げます。
突然父という大きな強く優しい人が、お釈迦様のお加護のもとへ旅立ち、これまでの慈愛と言葉に尽くせない感謝と、これまでのどんな冬の厳しい寒さより比べることができない寒空の荒野に立ち尽くしている気がします。
難しいことはわかりませんが、
ご教授いただきました通りルーツを大切に想うということは、そのまた先の未来を大切にするという他ないように思います。子供はおりませんが、そうする親を見て先祖を敬う気持ちを見て教えられ、
それを真似から始まり人として成長してくのかな。と、いう思いもあります。
また、菩提寺とのおつきあいがなかったのでたくさんのお気持ちとお力をお借りしました。それは、父の人柄が大きく影響し「何とかしてやろう」というお気持ちになってくださったのかと思うと、嬉しくもあり本当に感謝を申し上げています。
いくら寂しさの中で自分がいようとも、その感謝をすぐに忘れ「3年経ったら・・・」「お金がかかんなくて・・・」これは、随分かと。心の広く姿が見えないお釈迦様ですが、お願いするときだけお願いし、あとはお金払ったんでしょ的な考え方で、わからなかったから。お金を払えば用が済んだ。ではと・・・なんとも言えない複雑な気分に心が疲れ切ってしまいました。
まだまだ老いるまでには時間がかかりますので(笑
現代の墓の継承問題が、より良い考えやシステムなどが考案されることに期待したいと思います。
そして何より父の嬉しく過ごすことになる浄土での冥福を祈りたいと思います。
ありがとうございました。合掌
円通寺
僧正様
この度は、母の心境へのお気遣いと励ましのご回答を賜り心より深謝申し上げます。
頼れる場所。
確かそうかと思います。気兼ねなく嬉しいことがあった時に、報告ができる場所があるというのは
とても心強いかと思います。
父もよく季節ごとに祖先の墓にお参りをしていましたので、それは、ごく自然な風習かと思っていました。なぜ母が、迷惑をかけるから。性が違うから。と、考えるのかちょっと不思議な気がします。
継承という文字は字数が多そうで複雑な重いイメージがありますが、案外草書で書くとスッと簡単な文字のように思います。
自然と手を合わせることができる場所があり、それが自分であっても親族であっても責任を持って迷惑をかけずに管理できるならば、草書の筆のように自然の墨の雫の流れに任せても良いのではないか思のですが。。。
>どんな形にしろ、残された家族がお参りできる場所は欲しいですよね。
できるだけ穏やかに物事を進められるように、しばらくは心を休めよい考えが思いつくまで、ゆっくりと考えて見たいと思います。
ありがとうございます。 合掌