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矛盾の苦しみ

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私の家に特別な事情がある訳でもなく、ごく普通の家庭なはずなのですが、私は母が大好きで大嫌いです。

産んでくれてとても感謝しているし、頼りたいし、なんでも話せる関係になりたいというのが願望です。

ですが、母は私の「絶対将来なりたくない大人・母親像」です。あんな人間にはなりたくありません。他人の前ではいい顔をし、実際は家事等全て祖母任せ、面倒な事は全て他人任せ。

謝らないし、人のせいにするし、逆ギレしてくるし、同じ血が通っていると思うと本当に嫌になります。母に似ていると言われると、それは悪口にしか聞こえません。

友達はみんなお母さんと仲が良く、本当に羨ましいです。

成人し、親孝行しなきゃな、と思い母と 話そうと何度も試みましたが体がそれを拒み、未だ反抗期みたいな態度をとってしまいます。

どうすればいいかわかりません。解決策が欲しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

母親の人間性100分割

お母さんのイイトコロも上げてみなさい。
母親の悪い所を挙げてばかりだからあなたも間接的自己否定で苦しいのです。
私になになにしてくれた、を今から20個書いてください。
お礼欄に書いてください。
いいところをできる限り見出すようにしてください。
見つかりませんでしたは、逃げです。
今からお母さんがあなたにしてくれたことを、お礼欄に書いてみてください。
すると、あなたの中の今までの人生における母親に対する評価がより良く変わります。
あなたのお母さんは100面体です。本当はもっとそれ以上です。
悪い所も確かにあるでしょう。
あなたはお母さんの100面体の内98くらい悪いところしか見ていない。悪いところしか思い出そうとしていな。良い所に眼を向けようとしないふて腐れにも似た心理状態にあります。
解決法ですか。あります。これがそうです。
ですから、いいところを見てあげることがあなたがあなたのおかあさんとの負の関係性と決別する方法です。
「あれをして下さった、あれも買ってくれた、あれも教えてくれた、あれを聞かせてくれた、あそこに連れて行ってくれた、あの服を買ってくれた、幼稚園の時、あれを縫ってくれた、傘で濡れないようにしてくれた、あのご飯を作ってくれた、あのお茶を入れてくれた、…」
箇条書きにして、お礼欄に書いてみてください。
世間の親不孝さんたちをも救う力にもなり、功徳も積むことになるでしょう。
あなたのその口の悪さ、思い方の悪さが黙り、改善されるまで修行だと思って、20、30書き出してみてください。
あなたは感謝していると言いますが、抽象的なぼんやり感謝だからいけないのです。
具体的感謝の為には、具体的に何をして下さったのかを、きちんと向き合って、自分だけが嫌な思いをしたなどというばかな思い上がりを捨て去ることです。そうすれば周りのみんなのように良い親子関係になるでしょう。
そして、結果的にあなたの願いが叶い、良い親子関係が構築され、毒の部分をみても、それに影響されないようになるでしょう。
さっそく、始めてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

距離を取って

似たもの親子で母の悪いところが見えてしまう。それはそれでいいと思います。
けれども「絶対将来なりたくない大人・母親像」なのならば、母親と離れてみるべきでは。成人されているのですから、家を出て一人暮らしなさるのもいいと思います。
経済的事情で実家でいなければいけないのなら、今のままの生活が続かざるを得ないでしょう。
悩んでいるより行動あるのみ。自分で働いて稼いで自分の生活を支える。それこそ人の悪口を言っている暇などありません。
弘法大師空海さまは、19歳で大学を中退し家を捨てて修行の道を選ばれました。男だからできたということもできますが、今の世の中は男女平等。女だって自立して生きていくのに障害はありません。自分の頑張りのみです。
一旦、家を出て大人になった自分が、母親と対等の立場で話ができるようになったとき、はじめて親孝行ができるのではないでしょうか。

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高野山真言宗権少僧正。高野山本山布教師心得。高野山大学密教文化研究所研究員。博士(密教学)。四国八十八ヶ所霊場会公認大先達。西国三十三所札所会公認特任大先達。 性同一性障害に悩み、自ら戸籍、僧籍を男から女に替えました。性的マイノリティーの方々の相談に乗ります。大阪市守口市にある浄峰寺の住職です。通称性善寺として性的マイノリティの方々のための寺を開設しました。2019年2月24日に晋山式を終え、毎月最終日曜日を縁日に決めました。午前10時から護摩祈祷、終了後、相談会、懇親会となります。ぜひご参加ください。全国を走り回っていますので、縁日以外に来寺希望の方は事前に予約お願いいたします。 早大卒。高野山大博士課程修了。元読売新聞記者。高野山真言宗大鳥寺住職を兼務。

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