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同性愛者です。

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私は同性愛者です。
でも信頼している友人や母や親族には言えません。
今お付き合いさせていただいている方はいるのですが、恥ずかしいと思うことはやはり相手に失礼なんでしょうか?
でもいずれは言わなくてはいけないと思ってます。
しかし、周りの目が気になってなかなか言い出せません。
隠し通すべきか、打ち明けるか悩んでいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

風林火山

明治の西洋化以前は同性愛なんかコレっぽっちも問題ではありませんでした。今年の大河ドラマ直虎さんの甥っ子、井伊家の表舞台の主人公・赤鬼直政さんは徳川家康の小姓(こしょう)をしていました。小姓とはすなわち、信長で言うところの蘭丸。すなわち上方・下々の穴で出世したテクニシャンな方々です(硬派なファンの皆さま申し訳ございません。お腐なファンの皆さま御随意にお召し候え)。それが維新政府の欧米化によってハイ、バイはバイバ〜イになりました。そのくせ昨今の欧米では同性愛を認めねぇのは差別だ!という流れが勢いを持ち、でも母なるロシアでは違法になるとかならんとか。こういうコロコロ変わる正義を世俗の価値観と言うのです。

だがしかし、それでもあなたが生きているのはこの世界です。何事も思い通りにならない…それをお釈迦さまは一切皆苦と表現なさりました。そういうモンだと腹くくって生きねばなりません。

ぶっちゃけ世の中、言うほど当たり前なことなど無いもので、彼氏彼女の段階からお義父さんに気に入られ、円満にゴールインするカップルもいれば、母親とグルになって父親には結婚式の前日まで極秘裏に事を進めるお嬢さんもいます。秘密は墓まで持っていくのを美徳とする人もいれば、何で言ってくれなかったんだと嘆く人もいます。そもそも同じ人が昨日言ってたことと今日言ってることが違うのが世の常。そんな娑婆世界のスッタモンダが人情です。何が正しく何が間違いと割り切れんのです。

じゃあ、あなたの周りはどうか?それはお坊さんが決めることではありません。あなた自身が一人一人、一時一時注意深く観察して決まることです。伝えるとしても如何に伝えるかという方法論も大切です。

周りの目を恐れる必要はありません。たかが俗世の基準です。しかし、周りの目に思慮深くあらねばなりません。「彼を知り己を知れば百戦危うからず」。それを怠れば我が身を滅ぼします。されど俗世間の基準です。

好機を得れば迷わず「疾きこと風の如く」、秘密の管理は「静かなること林の如く」、いざ覚悟を決めては「侵略すること火の如く」、好機を待つは「動かざること山の如し」。知勇才色兼備の赤備えの如く、価値観の戦国乱世をしなやかに、したたかに立ち回りましょう。そう、二重カッコで強調して繰り返します。『あなたは何も悪く無い。でも、上手く立ち回りましょう』。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

同性愛者であれ異性愛者であれ、真実の愛を生きる人に。

同性愛でも別に問題はありません。
ただし、問題になさる人がいるという事は真実です。
相手が男性であれ女性であれ、その前に、そもそも恋愛・愛ということをよーく考えてみましょう。
人は妄想が膨らむと妄想が愛と勘違いします。
たとえば男性が女性を好き、女性が男性を好き、
不倫関係で相手が好き、
ムチュムチュ、めっちゃ好き~ン♡
何でもかんでも好きスキすき好き、好きの一言でまとめますと大体、相手が男性であれ女性であれ失敗します。世の中、毎日怨恨や男女関係のもつれや愛に裏切られた人たちの事件が頻繁に起こっています。愛を誓ったはずなのに刺し殺すとか、愛なのでしょうか。
よって、まず冷静にアイの本質を見極めていってはいかがでしょうか。
同性愛であっても、世に多く見られるいわゆる普通の恋愛であっても、最終的に激おこエゴエゴ愛であれば、愛や恋、恋愛の名を語った詐欺で、恋愛という言葉に失礼です。
愛とは本人の内から発生するものです。
ただ相手の事がムチュムチュ、めっちゃ好き~ン♡とかいうのは、相手が誰であれ冷静にその愛の正体を見極めていく必要があると思います。だって、すぐにケンカしたり、別れたり、浮気したり、殺し合ったりしてるのですから。愛すること自体は悪いことではありませんし、同性愛なんて世界各国どこにでも当たり前になってきています。
よって、愛の品質、クオリティ、レベルを挙げましょう。
観音さまくらいまで、自分の愛を高めましょう。
すると相手が男だろうが女だろうが、あなたが愛のカタマリとなって誰に対してでも相手を思いやれる方になれます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

時機を見て

周りの目は気になりますよね。仕方ないです。まだまだ理解されてないですから。
けれども、あなたと彼女の関係は二人のものです。まずはそちらを優先してください。
そのうえで親とか他の友達とかに機会を見つけて打ち明けるしかないです。こちらはあせらずに。徐々にそれとなく見方を見つけながら時間をかけて理解を求めるようにしてください。あせればとんでもない圧力がかかったりするので慎重に。まずは二人のきずなを確かめ合うのが大切です。おそらく相手も性急にあなたの周囲の方にカミングアウトを求めることはないと思います。お互い様ですもの。あせらすゆっくりと。

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有り難し
おきもち

高野山真言宗権少僧正。高野山本山布教師心得。高野山大学密教文化研究所研究員。博士(密教学)。四国八十八ヶ所霊場会公認大先達。西国三十三所札所会公認特任大先達。 性同一性障害に悩み、自ら戸籍、僧籍を男から女に替えました。性的マイノリティーの方々の相談に乗ります。大阪市守口市にある浄峰寺の住職です。通称性善寺として性的マイノリティの方々のための寺を開設しました。2019年2月24日に晋山式を終え、毎月最終日曜日を縁日に決めました。午前10時から護摩祈祷、終了後、相談会、懇親会となります。ぜひご参加ください。全国を走り回っていますので、縁日以外に来寺希望の方は事前に予約お願いいたします。 早大卒。高野山大博士課程修了。元読売新聞記者。高野山真言宗大鳥寺住職を兼務。

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