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苦しむ妻に何が出来ますか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 41

私の過去の女性関係のせいで妻が苦しんでいます。
私はそんな妻を見るのが辛いです。

私は妻が妊娠中に同僚の年下女性と親しくしていました。
メールのやり取りを密にし、二人で会ったこともありました。
肉体関係はありませんでした。
冗談半分で付き合おうと話したこともありました。

当時の妻は妊娠中も働き、家事の手伝いを私に求めたこともなく私に束縛もしませんでした。

しかし妻の知るところとなり、ショックを受けた妻は出産前の離婚を要求。
当時は誤解だと弁明するに留め、その場が過ぎました。
私は妻が理解してくれ許しも得たとばかり思い生きてきましたが、妻は十数年に渡りその苦しみから逃れられずに心は蝕まれていたようです。
妻は限界からか離婚を再度要求してきました。
私は寝耳に水状態でした。
すっかり忘れていたからです。

正式な謝罪もなく、真実も分からず、誰にも知られず叱られることも罵られることもなく、何も無かったかのように過ごされて相当苦しんだようでした。

妻はまだ健在だった妻の母親と私の母親に心配かけまいと話さなかったようです。

しかし、妻が母親を看取ってしばらくしてもう我慢したくないとの気持ちになったとのことでした。
おまけに、離婚の話し合いでは私の母親が当時のことを私から聞かされて知っていたにも関わらず、同じ女性目線には立たず息子である私を叱ることもなく、勝手に終ったことにしていたことも判明。
過去のことだとか、今さら蒸し返すなとか、様々な暴言を妻に吐き出す始末。

妻は私だけでなく、私の母親に裏切られた感情も合わさり心の病を悪くさせました。
恐らく私の母親は発達障害かと思うぐらい、人の気持ちが全く分からない女性で、自分のしたことなど理解出来ず自分中心です。
妻と私とも話し合いにもなりません。
そんな私の母親を今までそれは大切にしてくれていた妻だけに、ショックなようです。

私は妻に謝罪を繰り返しましたが時既に遅し。
妻は必死で子育てをし、自分の母親を看病看取ってきた十数年でした。
経済的にもギリギリで妻の預貯金も底をつかせてしまいました。

私は妻と離婚したくないし、妻だけを愛しています。
当時も浮気の感覚はなくただの遊びでした。
つもり積もった苦しみが妻を苦しめていて、毎日辛そうです。
みていられません。
私は何をしてあげれはいいのでしょう。
助けてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

奥さんにとっては感情が事実

男性より女性の方がそういう傾向があるのかもしれませんが、奥さんにとっては、実際にあなたが浮気していたかどうかという「客観的事実」は関係ないのです。
奥さん自身がどう感じたかという感情が、奥さんにとっての事実です。
例えは悪いですが、強姦事件の被害女性でも、そういう人もいます。
そのときは「同意のうえ」だったとしても、後になって女性がやっぱり嫌だったと思ったら、「嫌だったが断れなかった」「つまり無理強いされた」という話になるのです。

ですから、奥さんを感情の世界から抜け出させるのがベストですが、まず無理でしょうね。
奥さんは一人の人間であり、あなたの所有物ではありません。
奥さんの感情をあなたが自由にコントロールすることは、無理なのです。
もちろん、長年に渡って黙っていた奥さんにも問題はあります。
多くの男性は、怒っているなら怒っているとすぐにはっきり言ってくれないと、わからないものですしね。私もそうです。
しかし、今更それを言っても仕方ないのです。
ご家族の未来にとってどうするのが良いのか、頭をリセットして考えてみてください。
奥さんにとっては、「嫌なものは嫌なんだ」というのが最大の現実なのです。
あなたが奥さんを愛していても、それはあなたの勝手です。
「愛しているんだ」はストーカーでも言いますからね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

第三者からの仲介が必要かと思います。

まず、努力がたりまへん。
本当に奧さんを愛しているのなら、本当に何もなかったことを言い続けて相手が得心がいくまで本当に何も無かったことを只管に説き続ける他ありません。
奧さんのこり固まった心を溶かすには、その二人だけの事を第三者に話して、二人が今後進むべき道を公平・公正な立場として明示してもらう事が良いと思います。
そのままくすぶった状態を続けていることはよくありません。
その事に直接の利害の無い第三者に判断、評価してもらい、どうすれば奥さんの心が晴れるかを紐解いてもらう事が手っ取り早いと思います。
先日も、お寺にある夫婦がお越しになられて離婚問題・浮気問題を間に入って相撲の行司のごとくノコッタノコッタしました。つかみ合いのケンカになりそうなのを止めたり、双方どちらの見方にもならずに冷静なアドバイスをさせていただきました。第三者が入るとこういう問題はスッキリ解決します。
奧さんは内なる密な自己ドラマが出来上がっていると思います。
その「誰にも言えない」ドラマが当時も壊されたことが悲しく、今もそのあなたに対する夢が壊されたことを嘆いているというダブル自己内ドラマが続いていると思います。
「本当はこうしてほしかったんだけど、そうでないことをされてしまった。」ことが悲しくて許せなくてフンガ-なのでしょうから、あなたとしては一番触れてはいけない起爆スイッチの付近にその爆発を阻止する方法があります。
奧さんに取っては、丁度大変な時期でこれから一緒にチカラを合わせて歩みを揃えて歩んでいこうとしていた、その矢先に起こった悲劇でしょうから。(あなたにとって何気ないことをしていただけでしょうが、奧さんにとっては苦しい状況が重なっていた中での出来事。)
それが何度も脳内でReplay、再放送され、でてくる過去のトラウマ、フラッシュバックを視聴者目線で何度も繰り返し悲しいシーンに1人ツッコミをして、そのイライラのホコ先があなたに向かう、という負の連鎖。
手っ取り早いのは内に電話でもして頂ければすぐに解決できるかとは思いますが、あなたではなく、奧様がその気持ちがあるかどうかが大切なのです。
信頼できる方にお電話しするか、間に入ってもらって下さい。うちでもいいですが。
スピーカーホンで三者間通話が良いかと思いますよ。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがたいお話を聞かせて頂き感謝いたします。
仰るとおり、そして、妻も言うところと同じくもありますが、誰にも中に入ってもらったこともなく私は誰からも叱られず諭されたこともなく今に至ります。
当時夫婦のことは自分で解決しようと言う気持ちしか無かったことが悔やまれます。
第三者に入ってもらうことも必要だったのですね。

また、妻の気持ちが事実で全てになってしまったのも私のせいであり妻の人生を狂わせたことに後悔しかありません。

なぜあの同僚と親しくしてしまったのか。
後悔ばかりです。
妊娠中の妻の笑顔と愛の存在は当然と思っていたふしもありました。
私に出来ることをやっていこうと思います

ありがとうございました。

ありがとうございました。
自分に出来ることをやってはいますが、時間がかかるかも、しれませんが精一杯贖罪の日々を送ろうと思っております。

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