ご飯をよそう回数
先程も似たような質問をして、回答をいただいたのですが、ご飯を最初に1回でよそう事と、おかわりの時に1回でよそうのは亡くなった人にご飯をよそうやり方だそうですが、別に縁起が悪い事でもなんでもないのですか?ご飯のおかわりをした時に1回でよそわれたので、縁起が悪い事だとわかっていながら、お腹が空いていたので、そのご飯を食べてしまいました。何かすごく気になってしまうのと、おかわりの時に1回でよそわれたご飯を食べた事を後悔しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気にしなくていいです
縁起担ぎ
ig様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
いままで、ご飯のよそう回数のことについて、気にすることを聞いたことがなく、ネットで調べてみて、ご質問にやっと合点がいきました。
『1回でよそうのは「1回(ひとかい)飯」と言って仏様にお供えするときのよそい方』
仏様に御供えするためのよそい方だから恐れ多いので遠慮するということなのかな、と思いましたら、「縁起」が悪いからとか・・正直、気にしたことがありませんでした・・
色々と焼香や線香の立てる数などで数を気にされたりすることもあり、よく聞かれますが、まあ、気にすれば気になるし、気にならなければ気にならないという程度のものながら、良い結果へ向かうための因縁(原因と条件)へ向けて、良いきっかけの一つとなることであれば、縁起を担ぐことも悪くはないのかなと、最近は思ってもいます。
ただ、結果はどうであれ、それはいずれにしても因縁次第なるもの。因縁無くして結果無しです。縁起担ぎだけで全てが決まるわけではないということは、十分に理解しておかないといけないでしょう。何よりも良い結果へ向けては、それなりの良い因縁に努めることこそが大切となります。
ちなみに、仏教的な本来の「縁起」の意味は、「縁って起こる」ということで全てのモノ・コトというものは、独立自存で成り立っているわけではなく、他に依存して(縁って)成り立っているということを申します。
是非、仏教本来の「縁起」についてもこの機会に少し理解して頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
大切なことは
拝読させて頂きました。お気になさらないでくださいね。何回でよそってもご飯には変わりません。迷信の一部です。気持ちの問題です。
大切なことは頂いた生命を大切に感謝なさりながら仏様やご先祖様にお供えして、自分も感謝なさりながら生命を頂くことです。
そうして自分の生命も繋いで頂いているのですからね。
それぞれに解釈があるでしょうけど、頂く生命に感謝して頂くことが何より大切だと私は強く思います。形はそれぞれですが、本当に大切なことは中身ですし、思いですから。
質問者からのお礼
あたたかいお言葉ありがとうございます。特に気にしなくて良いとの事で心が楽になりました。