自殺した彼のお母さんに恨まれている
半年前に彼が首つり自殺しました。第一発見者は、私でした。
発見した時にパニックになり何処に連絡して良いか判断出来ずにとりあえず警察に連絡してそこから救急車を呼んでもらいました。
救急車が来る間、警察の人の指示により心臓マッサージをしたりしましたが駄目でした。
それから体調を崩し手汗の発汗や震え目眩でなんとかお通夜には行ったのですが、お葬式には行けず寝込んでしまいました。
薬を服用しながら半年生活してきましたが、突然彼のお母さんが警察から私の連絡先を聞いて連絡してきて、貴方を恨みに思うと・・・
普通は警察より先に救急車を呼ぶもんでしょう?と
貴方は息子が死んだことが分かってたから一番に警察に電話したんでしょう。とか色々2時間程責め立てられ息子を死に追いやったと言われつずけられました。
私も彼が何故自殺をしたか理由が全く分からず薬を服用しながらなんとか生活しているのに彼の母親にそこまで責められなければいけないのか理解不能な日々をすごしています。
あとお通夜の時にパニック状態だったので気がつかなかたのですが、お葬式に行った知人が最近教えてくれたのですが、お金が無いとの理由でお通夜もお葬式もお坊さんを呼ばず戒名もなく入るお墓が無いとのことで家にそのまま居るらしいのですが彼は成仏して仏様になっているのでしょうか?
目に見えないことなので私には分かりませんが、死因がどうであれ供養されない状態でも全ての人は皆成仏して仏様になれるのでしょうか?
あと私の祖母が小さい時から自分にとって理不尽なことに出くわした時、それはお天道様からの気ずかせなんだからとよく言われてきたのですが、今回こんような体験をしたのは、私の何かが悪かったからでしょうか?
彼は私と出会わなければまだ元気に生きていたのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きることがご供養になります。
なみえもんさん、はじめまして。
彼の突然のご不幸、さぞご心痛のことでしょう。
彼のお母様から非難されているとのこと。
人は、パニックになると何を一番になんて考えられません。
あなたは決して間違った行動は取っていないと思います。
何が彼を追い込んでしまったのかは解りませんから無責任なことは書けませんが、
彼のお母様も、自分のやりきれない思いを、誰かのせいにして現実逃避をするしか、心のやり場がないのかもしれません。
あなたにも、その気持ちは理解出来ると思います。
あなたにとっては、自分も同等以上にショックを受けられているはずですから、辛くきつい仕打ちだとは思いますが、ほんのちょっとだけでも理解してあげて下さい。
ただし、あなたが彼を死に追いやった訳ではないのですから、何を言われようとも、決して自分を責めないで下さいね。
自死を選んだのは彼の意思です。
チャンスがあれば何かが変わったかもしれませんが、最終的に彼がそこを選んだということは、あなたにはそれを変えるチャンスがなかったということです。
どうか自分を責めることだけはしないで下さい。
お葬式やご供養については、僧侶という立場から言えば、きちんと引導を渡してお経を上げて差し上げたいと思います。
ですが、彼のご家族がそれを選ばなかったのですから致し方のないことです。
かと言って、彼が成仏出来ないなんてことはありませんから、どうぞ安心して下さい。
そして、彼の死は彼の中に原因があるのです。
あなたが悪かったからではありません。
ご縁があって彼と関わったのですから、彼の死を目の当たりにして、それをあなたがどう受け止めてこれからの人生を生きてゆくか、それが大切です。
あなたが彼の死を自分の中に持ち続けることが良いことではなく、彼の生き方をどのようにあなたの人生の教訓にしてゆくかということです。
彼もあなたが悩んでいる間は、きっといつまでも後ろ髪を引かれていることでしょう。
涙は内にこぼすと溜まってしまいます。
泣けるところがあるなら、しっかり涙を外に出して、早く胸の内を乾かしてあげて下さい。
彼はあなたの中に色んな教訓を残してくれたことと思います。
その教訓をしっかり受け止めて、あなたがあなたの人生をしっかり生きてあげて下さい。
それが彼にとって一番のご供養になるはずです。
あなたの手の中に
先ほど新しいご質問にお答えさせて頂いた浦上です。
大切な彼の死を目の当たりになさり、どれほど驚かれたことでしょう。
そんな中、なみえもんさんは警察に連絡をし、心臓マッサージをし、できる限りのことをされたと思います。よく逃げ出さずに頑張られましたね。
けれど彼の母親から責められ、また前日に一緒に食事もされていることから、自分自身を責めてもいらっしゃるのではないでしょうか。
お祖母さんも仰っていますが、人生は理不尽なものなのだと思います。だからそれを「気づかせ」と理解するのは、ひとつの智慧なんだと思います。
仏教も、いかに自分自身に振りかかってくる理不尽を、不公平でない普遍的なものと得心するかの智慧なのだと思います。
幸運な出来事も理不尽な出来事も、人には計り知れない縁によって起こっています。だからなみえもんさんの何かが良いとか悪いとか、そんなことではありません。
彼があなたと出会わなければ生きていたかという問いも、そうかもしれないし、そうでないかもしれないとしか言いようがありません。
ただ自信を持って言えるのは、自死であっても、どのような亡くなり方であっても、それで苦しみの世界に堕ちることは無い、ということです。
これは「自死・自殺に向き合う僧侶の会」が各宗派に尋ねて確認したことです。
私は、彼は悩み苦しみの無い仏さまになっていらっしゃると信じています。
そして、なみえもんさんを悲しませ苦しませていることに、すまない、すまない、と手を合わせていらっしゃると思います。
お仏壇やお墓にだけ、彼がいるのではありません。
あなたが合わせる手の中に、彼はいらっしゃるのです。
あなたは何にも考える必要ない
みなえもんさん
それは大変でしたね。
色々とお悩みのようですが、ます、あなたは何にも悪くないです。
相手のお母様が何か言ってきたとしても、それは、その方の不幸を人のせいにして八つ当たりしているだけにすぎません。きっとお金のことで困っていられるようですので、そうしたことも、悩みの一つになっていられるのでしょう。
あの世の話は、だれにもわからない話です。そのことで悩むこともありません。
時に彼のことを思い、手を合わせることもあるとおもいます。そうしたことで供養となるのではないでしょうか。
これからの人生、過去に引きずられることなく、目と鼻の先にある、現実を見据え、生きていってください。
質問者からのお礼
早々の有難いお言葉感謝致します。
彼とは5カ月ぐらいのまだまだ短い付き合いで、亡くなる前日も普通に一緒に夜ごはんを食べたし私と別れた後に何かあったのか?と考えても何の答も出ず誰にも聞けず辛い日々を送っていました。
一度8月頃に落ち込んでるように見えた時があったのですが、彼自身自分の事をあまり話さないタイプだったので、あの時に嫌われてでも踏み込んでもっと話をきくべきだったと後悔の毎日でした。
お墓参りも線香をあげる事さえ出来ない状況の中、彼の為の供養すら何も出来ないと思っていましたが、私が生きる事も供養になると教えていただき有難うございました。
まだまだ現実逃避したくなる日のほうが多いのですが供養になるなら頑張って生きていこうと思います。