共依存的な人間関係から脱却したい
相手の性別を問わず、親しくなった相手と共依存的になってしまうことが多く、脱却したいとは考えているのですが、どうしたらよいのかわかりません。
自分から人間関係を切ったり、相手に切られたりすることもありますが、どうしてもその相手のことが気になってしまったりします。
何年かたったりすると次第に気にならなくなってはきます。
相手はわたしを信仰に近いほど信頼してきたり、逆に見下してきたりします。
そうなったら終わりだと思いつつ、相手のことを考えるとなかなか離れられないことが多々ありました。
おそらく、自分の心のどこかに、相手に救われたいとか、救ってやりたいとか、そういった感情があるせいだとは思っています。
そして、そういった考えが間違いだということもわかっています。
なのに、自分を頼ってくれたり、認めてくれる人がいるとふらふらとそっちに近づいていってしまいます。
どちらかというと、親や幼少期の友人からはあまり認められてこなかったので、誰か能力や才能を認めてくれる人がいるとものすごく嬉しくなってしまいます。
そうやって仲良くなれた人の信頼を裏切れないと、相手に過剰に合わせてしまうことが多いです。
幸い、今のところ対等な友人はいます。(少なくともわたしはそう思っています)
だけれども、誰かひとりを特別に大事にする(恋人などに限らず)をやろうとすると人間関係がこじれてしまいます。
親しくなっても、他人と対等な人間関係を維持するにはどうすればよいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
救うことが、迷惑な場合があると知る
羊皮紙さん
初めまして
だてりゅうほうと申します。
共依存や信頼・見下してしまう悩み
とてもよく分かりますよ。
私も今ではかなりその感覚が減りましたが
素晴らしいと思う人と会うと、今でもその人を敬ってしまいます。
もちろん目上の方を敬ったり
上下関係の大切さはご理解いただいていると言う前提で
『他人と対等な人間関係を維持するにはどうすればよいか』
にお応えさせて頂きます。
羊皮紙さん
きっとあなたは優しい方なんでしょうね。
相手が何を考えているかもある程度想像できてしまうからこその
悩みだと思います。
気が効くタイプの方がこう言った問題で苦労されるんですよね^^;
今から話す内容は、多少【さみしい感情】を持ってしまうことになるかもしれませんが
これも一つのアドバイスとしてお聞きください。
ではいきます。
今まで羊皮紙さんが良かれと思って言ってきたことは
相手にとって良いことになったでしょうか??
例えば
あなたが相手が辛い思いをしないように
救いの手を差し伸べることで
相手が痛みを伴いながら、
しかし、長い年月で見ると人生レベルで成長につながる経験を
邪魔してしまっていることを考えたことはありませんか??
羊皮紙さんが今まで辛かった過去の経験が一つか二つはあるでしょう?
その経験から、今の羊皮紙さんは何かを学び取り、今の成長の糧にしていませんか??
そう考えると
救いの手を差し伸べないことで
相手の人生の手助けをしていることもあるのです。
このように考えると
あなたを慕ってくる人よりも
あなたを嫌ってくる人の方が
羊皮紙さんの人生にとっては大切な存在かもしれませんよね??
この考えがしっかり、体感として理解できてくると
『好き・嫌い』の幅がどんどん狭くなってきます。
嫌いな人も大切
好きな人もそれはそれで大切
となってきます。
この意識がしっかりついてくると
自然とあなたの周りの人間関係に上下関係がなくなってきます。
ぜひ、体感レベルまで使いこなしてください^^
よく似た内容を動画でも話しています。ぜひ参考にしてみてください^^
だてりゅうほう