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友達の死から1年経っても苦しいままです

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1年前、高校3年生のとき友達が亡くなりました。原因は、わかりません。それが関係して、1年経っても苦しくて、どのくらいこの状況が続くのか、どうすべきか教えていただきたいです。

友達の死を聞いたときに私よりも仲が良かった人がすごく辛そうにして、私に色々相談をしてくるので、全力で彼女の欲しい言葉を探して答えていました。
彼女を見てるとどうしても私よりも苦しんでいると思って、彼女の為にできることをしようと思いました。

ただ、通学路で亡くなった友達の家を通る度に、その友達からの手紙やプレゼント、写真を見る度にどうしようもなく悲しくなって、学校の先生に相談しました。
そのとき、先生は一緒に泣いてくれました。
しかし、「あなたは教師になりたいんだよね?教え子を亡くさずに教師人生を終えることはとても幸せなことで、教師は感情労働だから我慢しなきゃいけないことが沢山ある」と言われました。
冷たい気がしましたが、私の中では確かにそうだと思いました。

自分の中で完結したと思ってましたが、夜になると亡くなったと聞いたときの場面や楽しかった場面を思い出して寝られなくなったりもしています。

何度も誰かに相談したいと思っても、実際相談して何か変わるのか、もし相談したとして、相手に重荷を背負わせてしまうのではないか、これを話したとして今後、その相手との関係が変わってしまうのではと、様々に考えて自分の中で解決することが最善だという結論に至りました。

その友達が亡くなってから1年が経ちました。
それでも悲しくなったり、寝れなくなったり、死について敏感になってたりと、1年前から自分の中では何も変わってないと感じています。

他の友達といるときは心から楽しいと思えるし、笑うこともできます。ただ、暗いところに1人でいると考え込んでしまいます。

一年経っても変わらないことから、これからずっと悩んでいくのか、死がまとわりついているのか、不安になって、相談させていただきました。
長文失礼いたしました。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

亡き人は生きている人の間で活きて永遠の力となる

二か月前におとうと弟子が二十歳の若さでバイクの事故で亡くなってしまいました。
彼は亡くなる前に「丹下さん、自分、お坊さんになってもいいと思えるようになってきました。」と言っていました。
その言葉を最期に事故で亡くなってしまい、私もしばらく時間が止まっていました。
衆生という言葉があります。
衆生とは生きとし生けるものという意味や悩み苦しむ存在というような意味もありますが、
悟りを得た禅僧たちは「自心の衆生を救う」べき事を説かれています。
「あいつがまだどこかで苦しんでいるかのような。そんな気がする。」
その心は我が心なのです。
それを霊と言い、自身の衆生ともいうのです。
その心を救う。
人生はひょっとすると一生自分自身の課題を乗り越えていくしかないのかもしれませんね。
人は人を自分よりも立派な尊い存在にするために生まれてきました。
悪人なら悪に走ってしまった理由を知り、より良い方向へ進むべく助けてあげる。
飯田トウ隠という私の尊敬する禅師は宇宙を救い、石ころも砂粒も救う程の菩提心を持てと言っています。
亡くなった人をも救ってあげることです。あなたをも自身で救ってあげることです。
あなたがその友達や周りの人を救ってあげると良いでしょう。
私の元には「子供を無くしたお母さん」「死にたい人」「好きな人が居なくなってしまった人」達などからお悩み相談のお電話があります。
そういう時、私は、時々彼の話をします。
彼は本当は生きたかった。
お坊さんになりたいと言っていたことは真実です。
なりたかったけど叶わなかった。
だから、私が彼をお坊さんにしてあげたいと思うのです。
その願いを微力ながら叶えようとしています。
彼は今、その姿はありません。
ですが、その存在は確かにあったのです。
私を慕ってくれていましたから今も兄弟子で、友達なのです。
だから彼のやさしい心が、彼との私との関係性の中で私から引き出されて、愛する人を亡くされてしまった方たちを救ってもらっています。
今日も彼の話をしました。
すると彼が私に代わって誰かの苦しみを和らげてくれるのです。
私は死んでいません。亡くなっても、彼の生きた人生が誰かを支えます。
私は亡き人の気持ちになってあげられません。
だから亡き人には亡き人にしかできないことがあるのです。
亡き人の存在は、亡くなりながらも誰かを救って下さいます。

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有り難し
おきもち

いつもあなたを見守って下さっています

拝読させて頂きました。ご友人の死が今でもあなたを悲しみの淵に立たせておられていらしゃることとかと読ませて頂きました。一年が過ぎてもあなたの中では今でも受け入れられずにおられるのでしょうか。死はどなたにも訪れる必然です。それが早いのか遅いのかはどなたもわかりません。あなたにも私にもですから余計その友人を思い返し目の前にある死が悲しみから抜け出すことができないのかもしれませんね。
その方が仏様のお導きを正しく受けられて仏様のお浄土に生まれ変わり、仏様の元にて心安らかにご成仏なさって頂きます様にと心を込めて仏様に願いお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
仏様は必ずその方を導かれて仏様の元に生まれさせて頂いて心安らかに安心してご成仏なさって頂けます。あなたも手を合わせてお念仏なさり心を込めてご友人をご供養なさってくださいね。私のお念仏やあなたの願いは必ず仏様の元に届きます。どうかご安心なさってください。
そしてしばし心を穏やかになさってください。死は生きている人と亡くなった人を分かつのですが、それでもそのご縁を切り離すことはできません。あなたとご友人のご縁はこれからも続くのです。以前の様にそのままの声は聞こえないですが、あなたの想いは必ずやご友人に届きます。あなたがこれから生きていかれる中でもご友人のあなたへの想いを感じることはあるのです。ご友人は安心なさって仏様となられてこれからもあなたやご家族の方々やお世話になった方々を見守ってくださいます。
もしもあなたが悲しみの淵に明け暮れていらっしゃるならばご友人も共に悲しみに寄り添ってくださいます。あなたが楽しく他の友達と過ごしていらっしゃればそのことを喜んでくださいます。
これからも生きる中での出来事やあなたのお気持ちを心の中でご友人にお伝えなさってくださいね。きっとご友人があなたをサポートなさってくださいます。
あなたがこれからもご友人とのご縁を大切になさり、これからの未来に様々な出会いや出来事を通して心豊かにご成長なさってくださいます様にと心から仏様やご友人にお願いしお祈りさせて頂きます。いつもいつもあなたを見守って下さっていますからね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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