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努力の辛さは苦しみでしょうか。

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有り難し有り難し 39

いま、私は難関といわれる国家資格の試験に合格するために働きながら勉強するしています。
合格しないとその先の展望が見えて来ないのです。
私だけでなく家族にとってもそうです。

受験勉強はしていますが、勉強が得意でないため、勉強することが辛いです。仏教では結果は信仰によって左右されないと理解していますが、努力をする辛さを乗り越える術、思考を教えてください。

既に四年間、休日もなく勉強してきています。もちろん成績は上がっていますが、小さい子どももおり、一緒に遊びたい。働きながらのこの生活が辛いです。今の本音を言えば、結果は欲しいけど努力は嫌だ。です。
安直な答えでは、やめたら済むことはわかりますが、応援してくれた妻に対しても、私自身もずっと後悔することはわかっています。諦めたくないのです。自分の中にいくつもの嫌な自分がいます。

どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心には心から立ち向かわない

仏教では人の行動原理を身体の行い・言葉の行い・心の行いの3つに分類します。そして心を調えるためには心以外から攻めるように修行が整備されています。

川の水を引いて田んぼにためるにはどうすれば良いでしょうか?水を手の平で押したり引いたりしていたらいつまで頑張っても無理でしょう。水を流すのに水自体へ体当たりするのはナンセンスです。まずは穴を掘るなり、土手をつくるなりして水の通り道を作り、それから流せば自然と流れていきます。水(心)を調えるための通り道(身体や言葉)を先に調えなければなりません。

そのために禅は坐禅(身体)、浄土門は念仏(言葉)をしますし、密教では五感(身体の感覚器官)へ訴えかけます。もちろん生産に向けてのことではありませんが、歴史的にはかなり早い段階から在家者の生産活動に落とし込まれてきました。昔の職人さんは職場に神棚や仏檀を祀りましたし、武家も家訓に書き残してまで毎日仏壇のお世話を欠かすなと厳命しました。

さらに言うと先に挙げた水の例えは、法句経という原始経典に収録される第145番の詩を噛み砕いたもので、お釈迦さまが小僧さんに説いた教えだそうです。説法の相手自体は小僧さんですが、内容は仏道修行を灌漑職人、矢作り職人、木工職人の仕事に例えたものですから、最初期から通じるものがあると考えられていたのでしょう。私は意図があって今はできるだけ狭義の仏教を説くようにしていますが、本当は一般の仕事や生活に落とし込まれた広義の仏教にこそ日本仏教の魅力と実力があります。

脱線しました。そのように神頼みではなく、自分自身の精進のために手を合わせ、目標を口に念じてから勉強や仕事を始める流れを『習慣化』すると、やがて心も後から自然についてくるでしょう。これはカルトじみた超常信仰の話ではなく、心理学でいう所の古典的条件付けに神仏やご先祖さまから家族・一族への想いを上乗せしただけの合理的な儀礼です。

その意味では机の上でお香を焚いてから勉強するとか、ハチマキをキュッとしめるだけでも可です。昔ながらの一杯ひっかけてから…も実はこれの変わり種です。しっくりくる形を探して下さい。そういったことを『続ければ』いずれ勉強しないと落ち着かないタチになってきます。まぁ、私は義務的努力アレルギーですけどね(爆

気の持ちよう(心)も書きたかったのですが、紙面の都合からまたご縁があれば…

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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そこに喜びがあるかどうか

何ごとも「努力」が必要だとは思いますが、「〜〜」の為の努力であれば、「〜〜」が達成出来なければその努力も報われません。人生も「〜〜」の為だから辛くても努力するのであれば、「〜〜」が得られなければ徒労に終わります。
大切なのは何かの為ではなく、今、頑張っている努力そのものに喜びがあるかどうかが大切ではないでしょうか?

近頃はなかなか同じ目標に向かって心を一つに出来る家族は少ないですよ。応援してくれている奥様や遊んで貰うのを我慢しているお子様の為にも、今夢に向かって勉強させて貰えていることに感謝してみませんか?

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有り難し
おきもち

昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。
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メリハリがないと頭には入らない

おはようございます。

一連の質問でindigoさんの悩みの核心が見えてきましたね。

あなたは,ご家族と一緒の時間も「こんな事していて良いんだろうか?」と思いながら今まで勉強と仕事に追われる日々を過ごしていらっしゃったのではないですか?
あなたはきっと真面目すぎるのです。

ハッキリ言います。
お子さんと思いっきり遊んであげて下さい。

勿論、目指すものがあるなら勉強は続けなければいけません。
しかし、メリハリがないと何事にも集中出来なくなるという研究結果もあります。
目標を達成することと,今味わっている我慢やストレスがケンカしてしまうのです。

今のあなたはきっと、ここまでやったら一段落付くから・・・とか、ここまでやらないと子供と遊べない・・・
そんな風に、先ず勉強や仕事の側から考えておられたのではないですか?
それはたぶん全く逆です。

例えば、今週の日曜日は勉強を一切忘れて子供といっぱい遊ぶぞ。
とか、
夏休みにはどこかに行くために、しっかり勉強しておこうとか・・・

子供やご家族、休日の過ごし方を中心に、仕事や勉強を考えてみたらどうでしょう?
きっと、身近な楽しい目標を立てることで、勉強にも集中出来るはずです。

人の記憶は睡眠や休憩の後の一定時間が一番だという学者さんもいますし、人が集中出来る最大時間は一日のうちで5時間だという学者さんもいます。
長い時間休み無しに詰め込んでも頭に入らないという学者さんが殆どです。

思いっきり遊んで、また思いっきり勉強する。

ご自分でそんなサイクルを身に着けてみて下さい。

きっとご家族も,そしてあなたも、ストレスのない楽しい毎日が送れるようになるはずですよ。

これが終わったら勉強、ではなく、ちゃんと頑張って遊んで下さいね。

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有り難し
おきもち

やる時はやるしかない

indigoさま

努力は辛いと捉える必要はないのではないかと考えます。
辛いと感じるのは、後先を考えるからです。体力的な辛さはあるのかもしれません。しかし、それも吹き飛ばすぐらいの、決意があなたにはあるのではないでしょうか。

日曜日の夕方「サザエさんを見ていると、明日からの仕事のことを考え憂鬱になる。という話と同じです。
金曜日の夜は明日が休みだと思い、なんだか元気になってしまう。

辛さは、自分で作り上げているものにすぎません。そのもの自体に辛さはありません。
トイレ掃除を楽しいと思う人がいれば、汚い嫌だ辛いと思う人もいる。

逃げたい気持ちになると、人は自分を正当化しようと自然に逃げる理由を考えます。自分や周りの人を納得させるために。

「子供がかわいそうだから今日は遊ばなくてはならない。私は仕方なく、遊んであげているだけで、何にも悪くない。勉強をさぼっているわけではないですよ。」のように(これは私の想像の世界です)。

誰のためとか、ではなく、ご自分が決めたことですよね。時のとして息抜きも必要です。そんな時間にお子さんと遊べばいいじゃないですか。

勉強する時は、目の前のことを只、学ぶのみ。後先考えて心配したり、嫌だ、逃げたい、などと思っていれば、効率が悪いです。やるからには、「一行三昧」ひたすらに打ち込んでください。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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今日はハシゴの何段目か

さほど高所恐怖症でもないのですが、年末本堂の屋根の上の登って命がけで掃除をします。
毎年、恐怖の実験をしているのですが、そのまま、景色を見ている時って、怖い、とかは起こらないのです。
「おちたらどうしよう」とか、二次的の思いを加えるとたちまち恐怖心が生じてくるのが人間のしくみであるように感じます。
特に注意を要するのは、屋根からハシゴ、ハシゴから屋根い映る時です。
ハシゴはそんなに階段はないですが、たとえば「91段目、92段目…、93段目…」などと前後は見ないほうが良いことが分かりました。
前後を見ると、比較や恐怖、不安が生じるからです。
ところが「今の一歩、今の一歩、今の一歩」と、目の前の事だけ、今の事だけ、今向っている所だけをやってちると不思議に恐怖も不安もありません。
たとえば夜寝れない時もそうでしょう。
時計をみる、ああ、明日仕事だ、どうしよう、寝なくては…、とか考えていると、不安になります。
そんな時は、何かコツコツやっていくことが望ましいです。
前後を忘れて、一歩、一歩、…一歩をやるからです。
参考になるかどうかわかりませんが、この理論を勉強に当てはめてみてください。

今日はハシゴの何段目か?
いや、問うまい。
一歩、一歩。
一問、一問。
子供たち、ちょっと遊ぶか。お父さん息抜きしたくなった。
妻よ、いつも本当に、有り難う。結果は分からんが見守ってくれてありがとう。
↑こういう一歩も、ちょくちょくはさみながら。

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おきもち

質問者からのお礼

邦元さま
ありがとうございます。
言い訳を並べて逃げていることを自分で改めて知りました。
気持ちをしっかりと立て直して努力していきます。

山本 文匡さま
ありがとうございます。
家族のありがたみ、やらなければならないことを指摘いただき、頑張ろうと思いました。
ただ、努力そのものには喜びはなかなか見つけられないでおります。達成したその先のイメージにはとても良い物を描いているのですが。

小原観慈さま
ありがとうございます。
非常に嬉しく思います。自分自身、何が今の自負の悩みの根源か解らずにいます。
どこの誰かも解らない私のために、考えていただきました事を感謝します。

「苦しい・苦しみからの解放」問答一覧

妄想から抜け出したいけど…

私には強い妄想癖があります。 過去の辛い出来事がきっかけで妄想に逃げ込み、いつの間にか妄想の世界で生きていました。 妄想の世界は楽しいです。自分が凄くなったように思えるし、皆が良くしてくれる。しかし、最近は色々あって妄想が苦しくなってきてしまい、現実を垣間見ることも多くなってきました。そしてふと現実を見るとふわふわしたり心にぽっかりと穴が空いたような気分になるのです。 なんというか自分は妄想のしすぎで妄想の世界での自己の確立が過度になりすぎていたのかもしれません。しかし、先程も言ったとおり妄想の世界が苦しくなってきた今、現実とのギャップに悩まされることが多くなりました。 私もこれをきっかけに現実を見て自分を変えていかないと…。と思うのですが、楽しい妄想の世界が消えることや現実への恐怖感、理想の自分と現実のギャップ、そして妄想の自分とは違い、自分がない、現実の自分には凄いところなんて何もないということを突きつけられるからか苦しみや恐怖、焦躁感や自己嫌悪に襲われます。 正直、今までもこういったことはあったのですが、その度に妄想の世界に逆戻りということを繰り返していました。今回も下手するとまたこのような悪循環に陥ってしまうんじゃ…といった思いもあります。 どうすればこの苦しさや恐怖を断ち切ることができるでしょうか?どうすれば妄想から抜け出して現実を生きれるようになるのでしょうか?

有り難し有り難し 8
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毎日不安で苦しいです

現在、お付き合いして10ヶ月ほどになる彼がいます。 彼とは半同棲で鍵をもらっており、自由に入って良い状態で信用されていると思います。 先日、彼が昔使用していたスマホが出てきました。 中身は見ていませんが、マッチングアプリが入っていることが見えてしまいました。 見た瞬間すごくショックで手が震えましたが彼はマッチングアプリをやるような人と思えず、見なかったことにしようと思いました。 しかし、やはりモヤモヤしてしまう為、アプリ欄を見てしまった謝罪と共に真相を聞きました。 すると「使ってないよ、すごく昔のスマホでアプリがそのままになっていただけだよ。ごめんね」とのこと。 しかし私からすると、彼女がいるのに登録したままいることに違和感があり、退会しないのか問うと「するよ」との返答。 私から聞かなければきっと退会すると自分から言ってくれなかったのだろうと思ったのと、彼女が不安に思っていることを無くそうと努力をしてくれないのか?と悲しくなりました。 アプリは私の希望で目の前で退会してもらいましたが、本当に使用していないのか、メッセージ欄を見せて貰えば安心できたかもしれない…と後悔しています。 古いスマホは、現在使用しているスマホの容量が足りなくなったから入れ替える為に使っていただけだよと言われ、それは本当にそうだと思うし、Wi-Fiに繋げなければ使えない状態でマッチングアプリを使用する意味がわからないので使っていないことは信じたつもりです。(彼女がいない時に使っている分には全然気にしないので、過去のことだと気にしないようにしました) 話は一応解決しましたが、そこから毎日ネガティブな妄想が止まらずにいます。 本当は浮気用のスマホで、とんでもない遊び人だったらどうしよう 最近家の中でもスマホを離さない気がする 浮気相手のLINEの通知は来ないようにしているのでは?など 今まで心から信用できる相手で不安になることがなかったのに、ここに来てこの一件で全てネガティブになり眠れない日が続いています。 終わった話なのでまた掘り返すのが嫌で我慢していますが、毎日苦しくて食欲もない日が続き、どうしたらいいか分かりません。 話して面倒と思われる相手ならそれまでの男というのもわかるのですが大好きなので別れることになるなら我慢しよう。と思ってしまいます。 安心できる言葉を頂きたいです。

有り難し有り難し 11
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生き方の正解がわかりません

よろしくお願いします。 少し前に父が亡くなりました。 兄弟が複数人います。 遺産相続で揉めに揉めました。あまりに酷いやり方に私と1人の兄弟は相続放棄し、結果的に傲慢な人たちだけが相続するという形になりました。 口ではこれからは母を守るし、詐欺にあったら助けるなどと夢物語ばかり上等なことを言います。 でも現実は、初盆の準備や片付けなど一切せず香典も出しませんでした。 昔から母の様子を見たりお墓参りをするのは放棄した側です。 相続した側から「貰える物は貰えばいいのに〜。面倒なことはやりたい奴にやらせておけばいい」と見下され笑われました。 兄弟の考え方に触れるたびに 真面目すぎて融通が効かない自分のことが嫌いになります。 終わってみれば相続した側は得しかしていません。 自分のために人が世話を焼くのは当たり前のことで、そこに何の感情もないようです。 本人はただあるがままに生きているので悪気がなく「俺の言う通りにしないやつが悪い」と平然と言います。 いつかバチが当たると思っていましたが、実際には得しかしていません。 最近は私の方がずれていておかしいんじゃないかと思い始めてきました。 間違った生き方をしているのは私の方で、感謝や慈悲なんて実はなくてもいいことなんじゃないかと… もう生き方がわからなくなってしまいました。 相続に勝ったと笑っている人たちのことを指をくわえて見ながら雑用をやっている姿を 我が子が見て育つと思うと、私のようになって欲しくありません。 私は頑張って相続するべきだったのでしょうか。 ズルさや傲慢は私が思うほど悪いことではないのでしょうか。 相続以外でもずっと損をしている自覚があるにも関わらず改善されないのは、やはり私に問題があるのだと思います。 でも生き方の正解がわからなくてすごく苦しいです。

有り難し有り難し 3
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ