婚家の宗派に入りたくない
(こちらの質問は編集部により一部編集しています)
婚家の宗教に、一度はなじもうとサイトを開いてみた。
しかし禁忌項目についていけません。般若心経はダメとのことですが私は
小学3年から読んできているお経。神棚もダメともことですがしっかりありま
す。小学3年から敬神崇祖の教えを基本に生きてきましたが、神も祖先も
大事にしたい。他にも禁忌項目があるけどついていけず寝込んでしまいました。
主人に改宗を依頼してもいいでしょうか。お寺参りも趣味で主人が定年に
なればいろいろ廻りたいですがそれもダメなようです・・・。実家は曹洞宗です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お互いの信仰を尊重しあいましょう
こんにちは。
まず最初に、私は曹洞宗ですが「敬神崇祖」という言葉は聞いた事がないです。それはご実家の曹洞宗の教えとは無関係の思想かと思います。
さてご自分の信仰に熱心のようでとても良いと思います。
一方で、改宗を勧めるなど、あなたの信仰ををご主人やそのご家族に押しつけるのはいかがなものかと思います。
婚家の信仰は大切にして、あなたはあなたの信仰を続ければ良いと思いますよ。
仏教は対立を促すモノではない。
珠姫さま
拙僧は浄土真宗です。
故に般若心経は「自力」の教えとして法要等で唱える事はありません。
ただ単純に仏教経典・読み物として読むことを禁じられてはいません。
他宗教の寺社を見聞する事を、禁忌事項だと言われた事もありません。
(戦後に新宗教として台頭してきた一部団体の中には、他の仏教宗派や他宗教を「邪教!」と言い放って禁忌していますが・・・)
他の仏教宗派の教えを、読む・学ぶことが禁忌項目なら、hasunohaに、これだけ仏教内多宗派のお坊さんが集うワケがありません!
婚家の菩提寺住職さまに、珠姫さまの想いを伝えてみては如何でしょうか?
そもそも仏教は対立を勧めるモノではありません。
「俱会一処(ひとつところでともにあう)」ことができるのが仏教です。
珠姫さま自身の信仰は大切にして、歩み寄るところを、菩提寺住職さまや、ご主人さまと話し合ってみて下さい。
仏教について
珠姫様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
宗派は違えども、もともとはお釈迦様がお説きになられました悟り・涅槃へと向かうための教えが仏教となります。
どうして同じ仏教であるのに異なるような、矛盾するような教えもあるのかと申しますと、対機説法・善巧方便として、その者の機根(悟りへと向かうための気質)によって、お釈迦様は様々にお教えを説かれているところがあるからでございます。(もう少し詳しく述べると、仏説には、了義と未了義として、最高真理としての勝義的な教えと世俗的な教えの二種があり、世俗的な教えについて、いまだ未熟なる凡俗の側から判断すれば、異なっている、矛盾しているようにどうしても見えてしまうというところがございます。)
とにかく、異なるような、矛盾するような内容があっても、その通底している根本的な基本原理(四法印、四聖諦)はもちろん同じであり、また、悟り・涅槃を目的とするものとなります。
悟り・涅槃へと至るためには、とにかく智慧と福徳(方便行・善徳行・功徳)の二資糧が必要となります。
特に般若心経は、智慧の内容となる「空」の教えについて説かれている大切なものとなります。
貴女様のご仏縁において般若心経は誠に大事なご様子ですので、それを無理に破棄する必要は全くありません。
但し、ただお経を読むだけではいけません。「空」の内容をしっかりと理解して、智慧を滋養して、日々の生活、福徳の実践に活かすことが大切となります。
下記は簡単な拙考となりますが、少しくにご参照なされて下さいませ。
『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392
敬神崇祖のことですが、日本仏教においては、神仏習合、先祖供養も包摂してございますので、敬神崇祖についても強く否定はしなくてよいのですが、あくまでも悟り・涅槃へと向かうために護って頂ける、助けとなってくれる存在(護法善神)として敬われると良いのではないだろうかと存じます。
とにかく仏教の目的は、悟り・涅槃、そして一切衆生の済度。そこへと向けて、できれば仏教を幅広く全般的に修しながら、一歩一歩着実に進めて参りたいものでございます。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
私は神は敬い、素線を崇める事を小学3年から教えられてきました。四国も2回巡礼しました。基本的には、主人の健康を祈り、後はお願い事はほぼせず元気で幸せなことに感謝をするために神仏をお祭りしてきました。皆様に力になっていただけて、本当に私は幸せ者でございます。ありがとうございます。感謝の心です。
しかし、私が亡くなった時に葬儀屋さんに拝んでいただくだけの宗教と、私の考えている宗教は違います。向かい合って残りの人生を生きていきたいです。これからも、ご指導、ご鞭撻よろしくお願い致します。
よくよく考えてみれば、私の唯一の希望は「死後も主人と同じはすの葉の上に乗って仲良く暮らしたい」それだけでした。その為に神仏の教えを大切にし、少しでも魂の位をあげたいという気持ちがあったように思います。前筆した「葬儀屋の・・」は書いてはいけないことでした。心からお詫びいたします。お答えくだされたお師様たちが、いつも幸せで御仏のもとに見守られておられることを願います。