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過去の恋愛が苦しいです

回答数回答 3
有り難し有り難し 55

昔の罪悪感が苦しいです。

 学生時代に、彼女持ちの方の浮気相手になってしまいました。

 彼と彼女さんは4年ほど付き合っていて、遠距離恋愛状態でした。彼は先輩で、社交的な人で人をよく家に招いたりしていました。よく気遣ってくださったりご飯に誘われたり、頻繁に連絡をしてきたりと、こちらも次第に好意を持つようになってしまいました。

 私自身、新生活を始めたばかりの寂しさもあったのかもしれません。

 色々と誘われるうちに、”彼女さんに申し訳ないからやめよう”と言ったこともあったのですが、彼の大丈夫という言葉に対する甘えと、彼の気持ちに応えたいという気持ちから深い関係になってしまいました。

とても非常識で浅はかな判断でした。気持ちがふわふわしすぎていました。

結局お二人は別れて、(彼からは、彼女さんが別の方から告白されて付き合った、と聞きました)その後彼に付き合おうと言われ私と彼は付き合ったのですが別れてしまいました。

お二人の仲を裂いてしまったような感覚と彼女さんへの懺悔の気持ちでいっぱいです。

今は私は別の方とお付き合いさせていただいて幸せな反面、このような過去を持つ自分が幸せになる資格はないし、こんな自分では相手がもったいないと思ってしまいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もう過去は変えられません。変えられるのは

はじめまして

私の感じたことをお伝えさせていただきます

今の心境察し致します

さっそく結論から言います

後悔したところでなにも現実は変わりません
でも唯一変えられるのは
あなたの過去の捉え方、考え方です

当時
あなたは好意をもち付き合いをされたのです

その時の心境
その時の環境などなど
いろいろなことが重なって
当時の決断をしたあなた

そんなあなたを許してください

「今は私は別の方とお付き合いさせていただいて幸せな反面、このような過去を持つ自分が幸せになる資格はないし、こんな自分では相手がもったいない」
という文章がありました

浮気した人は幸せになる資格がないんですか

過去を反省し、今に、今後に活かしていけば
良いのではないでしょうか
確かに
浮気はいけないこと
なぜなら
その人の行為で
誰かを苦しめてしまうから
悲しませてしまうから

あなたが彼女に負い目を感じるのは当然のこと
でもそれはやってしまったことであるし
責任はあります

でもその彼女のことも含めて
あなたは幸せになっていいんですよ

私にいただくご相談者から
「こんな自分が・・・・・」
って声をよく聞きます

自分が自分を見下すというか
大切にしていない人が他者を大切にできますか

今付き合っている人のためにも
ぜひまずあなたがあなた自身を大切に
認めて、信じてあげてください

「過去があるから今がある」

きっと素晴らしい人生となりますことを
祈っております

合掌

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有り難し
おきもち

人の寄り添える僧侶をテーマに活動中! 僧侶、理学療法士、心理カウンセラー  それぞれの立場を活かして 現在における僧侶像を確立するべく こころ・からだから笑顔になれる人を増やすべく仏教用語から由来して「わげんせ」という活動を通して、日々模索しながら動いております ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください

だからこそ道徳・倫理・宗教が人間には必要。

これはやっぱりよくない、よくなかったとご自身でも気づかれたという事ですね。
それがあなたの人生での初めての宗教心の始まりなのです。
その心を大事になさってください。
そして、社会の中で反省、懺悔の意味を込めて善玉菌を活性化させるべく行いを改めてください。
世の中の多くの人は宗教など要らないとエゴエゴな人ばかりで、その結果が世の中がどんどん悪くなっていきます。
宗教というと重たく感じるでしょうが、人間にはどうしても必要な心なのです。
ご自身も道を踏み外してしまったからこそ、自分を責めておられるはずです。
だからこそ仏教では懺悔(さんげ)を勧めます。
自分を苦しめる心や言動、行いを慎み、仏心に目覚めるべく精進するのです。
簡単に申し上げれば世の中の悪玉菌となる生き方はエゴ、わがままです。
社会で善玉菌となるような生き方というものがあります。
それが宗教心なのです。
人間生きていれば何らかの形で多存在に迷惑をかけたり、悪玉菌になってしまっているのです。
たとえば仏教界の中でも定期的に見かけるのですが目立ちたがり屋な僧侶がいい加減な仏教を公の場で説くことがあります。
すると、一見すると良いことのように見えますが、仏教界にとってはその人は結果的に悪玉菌となってしまうという事があります。
あやまった仏教が広まり仏教がチカラを発揮しないからです。今、世間でも不倫が問題になったりよしとされているのはみな私たち日本人に宗教心が欠如していることをあらわしているのではないでしょうか。
不倫してOKならみんなすすんでやるのでしょうが、相手のあることです。
どこかの誰かを傷つけるのです。必ず悪玉菌となってしまうのです。
世の中の❝よからぬこと❞とはどこかで誰かが苦しむこと、悪玉菌となってしまう生き方のことなのでしょう。
「人の心を求むる事なし」
仏道をもとめれば自分が自分が、と人の気を引こうとか、人の気持ちをわがものにしようという気持ちがなくなっていくようになります。
「わたし」というもの「わたし」という自分を中心に物事を眺めるものの見方を捨てて、関係性をよく感じ取って、みながなんとなーくいい感じで生きられる方法というものがあるものです。
世の中の悪事はみな「わたし」「おれが」「おれだけが」というエゴの心が悪玉菌となっています。
これをきっかけに善玉菌となるべく互いに精進してまいりましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

しっかりと前を見つめて下さい。

お互い好きだったのでしょうね。
恋は盲目と言いますから、周囲を見渡せなくても無理もないです。

肯定するわけではありませんが・・・・

今や、いい大人でも、本来はいけない恋愛をされて、ニュースになっている時代です。
あなたはまだ、その時学生さんですからね。

彼の方からもアプローチしてきているので、あなただけで抱え込む責任ではないのですよ。

あなたは、罪悪感からか、人の恋を壊してしまったと後悔されていますが、、、
事実関係が分からないのに、そこで悩まれる必要はありません。

それよりも、その時の彼の事、好きだったのでしょ?
その時の気持ちをストレートに受け止めて下さい。

あなたが幸せになろうと決意しない限り、あなた自身も、現在お付き合いされている方にまで不幸を及ぼす事になりかねません。

もう、その彼女さんに罪を償う事は不可能でしょう。
だったら、いまのパートナーの方を大切にするということで、償われてはいかがですか?

「こんな自分で」と思われるくらいなら、相手を幸せにしてあげる事を考えて下さい。

どうしようもない過去を引きずるあなたより・・・
今なすべき事とと向き合いながら、前進するあなたの方がきっと素敵です。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございました。
過去に対する考え方を改め、過去を糧にして素敵な人間になれるように精進いたします。
本当にありがとうございました。

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