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守られなくていい

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有り難し有り難し 33

新しい年になっても苦しさは変わらない。40過ぎても 自分の家族を持つことも出来ず お金もなく 惨めで苦しい気持ちのまま毎日を なんとなく過ごし 何のために生きているのか。 自死することも出来ず。仏さまに迎えに来て欲しくて、願っても願っても朝が来てしまう。1日を無事に過ごせた事を感謝する気持ちを持てなくなった。守って下さっている力に見限られるにはどうしたらいいですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の考えって必ずしも正しいもんじゃなくてさぁ

私があなただったらの話ですが。
そのまま感じたことを友達感覚でストレートに申し上げますと、
・心がくよくよするようなことを言わない方がいいと思うよ。
・心が暗くなるってことは悪いことを考えた結果だから原因を除く為にもその習慣をやめた方がいいよ。
・40過ぎて家族を持たない人なんてワンサカいて、楽しんでいる人もいるんだから責める必要はないよ。
・新しい年になったというより、今日も新しい時なのだから、新しく生きたらいいと思うなぁ。
・私もさほどお金はないけど、もっとお金持ちの人がナイナイ言って満たされないってことは惨めな気持ちさえ持たなければいいだけなのだと思う。
・何の為に生きているのかなんて考えなくても子供は楽しそうに生きているのだから理由なんて要らないのだと思います。
・そんなことを強要する人の教えが結果的にあなたを苦しませているのであればそれはその人たちの方が不幸だと思うからあなたも不幸にならないためにそんな人たちの教えに従わなくていいと思う。
・自死したければとっくに死んでいた。今もちゃんと生きているってことは本当は死にたいとかなんじゃないと思う。
・もっとより良い生き方を探しているからここに来たのだと思う。だったら、ホントにそこに向き合って手応えのある事を求めると楽しいはずです。
・私も死のうと思った人間ですが、坊さんも捨てて人を元気づけようとか、楽な生き方を無償で提供している。そういう人間がいるってことは、仏教にはそういう力があるってことだと思う。
・あなたが死にたい死にたいと願う事と、この自分と呼んでいる生命体が生きている事とは本当は別物で、私の意志とこの命の意志とは別なのだと知ると人生が変わると思う。
・守ってくれている力は見限ることも見捨てることもない存在なんだってことをあなたに教えてくれていると思う。
全部、自分が勝手にそう思い込んでも、現実が違うってことは、捨てた方がいいのは「そういうものの見方」の方であると思う。
私は「自分がこう思う」とかいうのを完全敗北して捨て去り、完全勝者になりました。
あなたは今優先しているその考え方によって苦しめられたのだから、そっちを捨てちゃえばいいと思う。
あなたのように「死にたかった人間」がこうしてエールを送っています。
どんな生き方したらそうなるのか、興味があったらお声かけください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

苦しみを捨て去って

拝読させて頂きました。
あなたがお感じなさっていらっしゃるように人生は思う通りにはいきません。だからこそ苦しみがあるのです。自分の生命さえも与えられたものですから自分のものの様であって実は自分のものではありません。詳細はわかりませんが、私たちはそれぞれ生命を与えられさまざまなものに育まれてそれぞれたくさんのご縁を与えられて生きているんのです。そして自分の生命が全うするまで生きるのです。
毎日毎日一分一秒づつ死に向かっているのです。必ずその死は訪れるのです。
そのことをあるがままに受け入れていくことが苦しみから離れていくことです。

どうかあせらずに心穏やかに受け入れて頂くようの心掛けてくださいね。
そしてあなたがその生命を全うする時必ず仏様のお導きを正しくお受けになり、仏様のもとの心から安心して生まれ変わることができます様にと真心こめてお念仏おとなえなさって仏様にお願いなさってください。
私もあなたがいつの日にか仏様にお導きを受けて速やかに仏様のもと極楽浄土に往生なさることを心を込めてお念仏おとなえし仏様にお願いさせて頂きます。
南無阿弥陀仏

必ず仏様はあなたをお導きなさってくださいます。どうか安心なさってください。
そしてその日が参るまであるがままをできる範囲で受け入れ、苦しみを捨て去り心健やかにご生活なさってくださいね。

あなたがこれからの人生を心安らかに穏やかに生き抜いて頂きます様にと心より仏様にご祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

死にたいと思っても死ぬのは怖いです。本当は生きていたいと思う気持ちもあります。私の死んでしまいたい気持ちは甘えでしかないんですね。私はハスノハの使い方を間違えていたようです。

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