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厄除け祈願

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有り難し有り難し 31

昭和56年生まれの数えで37歳になります。
今年本厄に当たるので厄除け祈願に行こうと思っています。

たまたま知ったのですが、鬼門・病門の年回りというものに二人の子供たちが当てはまります。
なので一緒に厄除け祈願にいこうと思っているのですが、一緒の厄除け祈願で大丈夫でしょうか?

また、初穂料は5000円なら5000円で3人分としてでのお金でもいいのでしょうか?
回答どうぞよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

厄の本質と厄除けの本質

sanaさん、はじめまして。
お答えさせていただきます。
まず、ご家族で一緒に祈願していただいて大丈夫ですよ。
初穂料に関しては実際に厄除けを受ける神社の方に問い合わせください。
祈祷寺院で祈願を受ける場合はそのお寺の方に聞いてください。

この時期ですとちょうど節分、立春に合わせて各地のお寺や神社で節分祭や星まつり、厄神祭など大祭行事があり、厄除けや各種祈願していただけると思いますよ。

ですが、せっかく厄除け祈願をされるならその利益が十二分に発揮するように、厄の本質と厄除けの本質を稚拙ながらお伝え致します。

厄年とされる年齢や八方塞がり、困難宮、鬼門、裏鬼門にあたる年、その根拠は様々ですが、簡潔に統合すると、この世に生まれた時の天体、自然の状態を持って生まれた星として、その移り変わりにより吉凶(特に凶)があったり、干支(特に十二支)が周回する為、変化の多い年とされています。

実際に環境の変化や身体や心の変化が出てきそうな年に厄とされる年が当てはまることが多いです。これは不思議な気もしますが、昔の人の知恵と言いますか、昔は天体や自然の動きを暦として記録し、科学として利用していたので当然といえば当然です。
暦は単なるカレンダーではなく、今でいうと自然の動きを蓄積したビッグデータのようなものでしょうか。

つまり厄年、厄の本質というのは「厄=悪や凶」ではなく、「そろそろ変化が起きやすい頃なので準備せよ」という案内なのです。

また、厄除けとは
『厄除け(開運)の本質は不安、不信、不満、不振などの「不」を取り除くこと』
なのです。

厄除けの祈願で神仏の加護を得るのも「不」を取りのぞく事に意味があり、逆に不安や不信があればいくら厄除けや祈願をしても意味はありません。

そもそも、鬼や魔や災いは外からやってくるようですが、いつの時代も結局は自分自身の内側にいて、自らが招いてしまってることが多い気がします。

福を取り込みたければ、自らの内側、心と上手く付き合うこと。
それができれば苦労はしない気もしますが、やろうとすれば意外と難しくはない気もします。

この節目となる機会に改めてご自身の内側、自身の心と向き合っていただいてもいいかもしれません。

一心祈願 災厄消除
合掌(^人^)

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有り難し
おきもち

未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸いです。 私自身、いわゆる「お寺の息子」として生まれましたが、小さなお寺ということや両親の教育方針もあり、感謝すること、仏様、お大師様に手を合わせることの大切さは教えられてきましたが、後継者としてのプレッシャー等は全くありませんでした。 実際、当初は仏門に入る心づもりなどなく、仏教とは関係のない分野の理系大学に進学し、在学中に起業。 仲間とIT系の会社を立ち上げたり、飲食業や人材派遣などの運営企画に携わる傍、ディスコやクラブのDJやバーのマスター、占い師(手相、姓名判断、九星気学、宿曜)としても仕事しておりました。 が、その中で思うことが度々あり僧侶を志し、お大師様とご本尊様のご加護のもとご縁に導かれ仏門に進みました。 今もいつもお大師様とご本尊浪切不動明王様方にはお導き頂き、助けて頂いております。 (趣味程度ですが、暦の研究や宿曜経の読解、気学をメインに占いは現在も嗜んでおります) 「目に見える世界」「目に見えない世界」を共に大切にして釈尊の末弟、宗祖弘法大師空海の末弟として、真言僧侶の立場、金剛乗仏教・密教の観点からお答えさせていただきます。 皆様からの相談を通じて、また他の僧侶の皆様のご回答を通じて多くを学べればと思います。 皆様との御法縁に感謝して精進してまいります。 煩悩即菩提 即事而真 当相即道 また自坊(金剛寺)では護摩祈祷会や阿字観体験会(阿息観による密教瞑想体験)も開催しております。 また自治体や地元社会福祉協議会様や企業、団体様より依頼を受けて法話(講話)や瞑想指導を不定期で行っております よろしくお願いいたします。 合掌
可否が時期によります ご相談ください

祈願とは

以前から何度かご質問いただいておりますが、厄除けや祈願、祈祷などについて神社をご利用でしたら神社にお尋ねください。
おそらくこちらではご希望のような回答ではなく、仏教的視点からの回答となります。それをご了承いただいた上でになりますが…

祈願における大切なことはなんでしょうか?精一杯お祈りすることで神様がお願いを叶えてくれるのでしょうか?あるいは嫌なことを遠ざけてくれるのでしょうか?

私個人としてはそのようなことはないと思います。しかし祈願が無意味とも思いません。
それは祈願を縁として、私が私の望む物事を目指し精進していきますと神に誓うことであったり、どんなことがあろうと引き受けていきますと覚悟を決めることであろうかと思います。
誓いや願いから人が力をもらうことは確かでしょう。神という大いなる存在の前で願いや誓いをたてることで私の思いも確固となるところに意義があるのではないでしょうか。

しかし、もしも祈願料の対価として、あるいは神主さんの祈願行為の対価として、厄除け等の効能を期待するのであれば、同じお金をかけるのであっても医療保険や学資保険や各種積み立ての方が有効な手段でしょう。

本来の宗教というものは、「こうすればこうなる」というようにわかりやすい構造で私の欲望を叶えてくれるものでなく、欲深い私の姿を知らせていただき、何があろうと生きていける私を賜る教えではないでしょうか。

まさに私の宗(むね)となる教え。宗(むね)とは「中心の」とか「大切な」という意です。私の欲望のために神仏を利用するならばそれは宗教というか自分教です。宗教とは私が頼りにならないからこそ、本当に頼りになる教えを求めるものです。

どうぞそのお知りになった「鬼門・病門の年回り」というものをご縁として、ご家族の健康に留意いただくとともに、宗教について今一度深く学んでみていただければと思います。

様々な悩み苦しみの原因を私の外に見て、外的要因を私の思い通りにしていけば幸せになれると思う道は外道です。

仏教は内観道です。どこまでも深くこの私のありようを見ていく道です。悩み苦しみの原因はどこにあるのか?

そう、厄は私の心にあるのかもしれません。それを祓うのは祈願か仏の智慧か…。

私は後者をオススメします。

合掌

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございました。

大変参考になりました。
ありがとうございました。

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