自殺で亡くなった彼のように…
先日も質問させて頂き複数の回答有難うございました。
彼が自殺でいなくなり7ヵ月が過ぎました。
彼が居なくなり…人は亡くなると本当に【無】になるのだと…
彼の後を追っても会えない事はなんとなく分かるような…最初は頑張って彼の為にも生きて行こうと思いました。でも…それは偽善の言葉で、本当は
意味も分からず残され、他人に責められ…それでも、
人って悲しい思いしても生きて行かなければいけないのでしょうか??
病気や事故や老衰や自殺どんな亡くなり方でもそれが寿命ならば早く彼のように楽になり…無になりたいです。
もう自分でも理解出来ない事で人に責められる事に疲れました。
死んで無に本当になれるのなら親にだけ詫びて、彼のように楽になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦を増すだけ
なみえもんさん、こんにちは。
しんどくなってしまいましたか…
非のないところを責められては、苦しくもなるでしょう。
ですが、彼と同じ道を選ぶことは絶対にお勧め出来ません。
前回「彼が成仏出来ないことはありません」と書きましたが、あなたがそこまで思い詰めておられるなら、言葉が足りなかったように思います。
敢えて、きつい言い方をさせて頂きます。
確かに、彼が成仏することはできます。
ですが今すぐではありません。
自死とは、今あなたや彼のご家族が味わっているように周りに苦悩を及ぼします。
これは、言うなれば悪業をつくっているに他なりません。
彼は楽になりたいがために、自から命を絶ったかもしれません。
しかし、彼はまだ苦しんでいるはずです。
お経の中にも、自分の偏った見方で悪業をつくると、その苦悩を除くには、この世で生きる年月の何倍もの想像を絶するほどの時間がかかり、なかなか抜け出すことが出来ないと説かれています。
彼はまだ、きっと逃れたかった苦しみから逃れられずにいるはずです。
なぜなら、その苦を取り除くためには、この身体が必要だからです。
苦悩を取り除く方法が見つかっても、それをやり直す身体がなければ、それを意識だけで解決しなければなりません。
亡くなる瞬間に味わっていた苦悩と、自からこの身体を滅してしまったことへの後悔の念も含めて、気の遠くなるほどの長い年月、今以上の苦しみが続くということです。
それを整理出来て初めて、次へ進む準備が出来るのということなのです。
彼は今、その作業を必死でやっているはずです。
「あなたが生きることが彼の供養になる」というのは、
彼に今以上の苦悩を与えることなく、今彼の中にある苦悩を一日も早く取り除いてもらうために、彼がこの世を生きたことがちゃんとあなたの人生の役に立っていることを、彼に見せてあげて欲しいということです。
自死とは、決して楽になる方法ではなく、今のあなたを取り巻く環境のように、苦しみや恨みといった悪業を生み、あなたが今味わっているように、周りの人にまでその苦しみを味あわせてしまう絶対に避けるべき方法なのです。
あなたまで周りを苦しめてはいけません。
今は辛いでしょうが、人は苦しめるばかりの生き物ではありません。
また新しい出会いが、必ずあなたを変えてくれるはずです。
「無」にはならない
なみえもんさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。よろしくお願いします。
7ヶ月前に彼が突然の自死をされ、筆舌に尽くし難いつらい日々をお過ごしのことと拝察いたします。
悲しさ、寂しさ、理不尽さにさいなまれている中にも関わらず、人から責められることもあり、さらにつらい気持ちがつのっていらっしゃることでしょう。
そんな苦しみの中、早く楽になってしまいたいとまで思われているのですね。
そんなお気持ちになるのも無理のないことと思います。
けれど、彼は「無」になったのでしょうか。
なみえもんさんや彼を大切に思う多くの方の心の中に、彼は存在しているのだと私は思います。
もし、なみえもんさんが亡くなったら、無になれるのでしょうか。
なみえもんさんを大切に思う方々の中に、あなたは生きていきます。
その方々の記憶が、今なみえもんさんが感じていらっしゃる苦しみを伴ってしまうのは、悲しいことです。
なみえもんさん、とても苦しいことと存じます。
でも私は、あなたに苦しくても生きていくことを選んで欲しいと念じています。
私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に所属しております。
http://www.bouzsanga.org
つらい時、苦しい時はこのhasunoha、そして「自死・自殺に向き合う僧侶の会」などを思い出して下さい。
死後のありようについて
なみえもん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
彼氏様を自死にて亡くされまして、誠に悲しく、つらいこと、ご心痛、いかばかりの程であろうかと存じます・・
どうしてもまだまだ悲観的、虚無的になられますことも、当然にやむを得ないことではないかと存じます。
焦らず少しずつ気持ちの整理も調えていって頂けましたらと存じております。
死後につきましては、これまでにも下記の各問いにもお答えさせて頂いております。
「死後について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_324660.html
とにかく、私たちの存在は、身体や心、色々な機能や作用などの要素の因縁(原因や条件)の和合により成り立っているものですが、もしも、この肉体が滅び、身体的な機能・作用が停止したとしても、微細な意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると考えられています。
その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いに応じて、どのような赴きとなっていくのかがおおよそ決まって参ります。
もちろん、生前にしっかり仏縁・法縁により善き功徳を積んでおければ誠に良いのですが、もしも、そうでない者であったとしても、何とかその赴きがより善いもの(悟り・涅槃へと向かうためのもの)に向かうようにとして調えさせて頂くために葬儀や供養などを行って参る次第でございます。
しっかりと亡き彼氏様が仏道を歩めますようにとして、私たちも微力ながらにでも日々のお勤めを致して参りますので、なみえもん様におかれましても、これからのご供養をどうか宜しくお願い申し上げたいと存じております。
また、自死・自殺はあまりお勧めできることではありません。お勧めできない理由はこれまでにも何度か回答させて頂いておりますものの、ここでは制限字数の関係上、もう述べれませんが、どうか思いとどまって下さいませ。宜しくお願い申し上げます。
川口英俊 合掌