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生きていれば希望はありますか?

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はじめまして。
わたしは結婚前に主人との間に双子を授かりましたが流産しました。その後結婚し今は結婚四年目32歳主婦です。

当時妊娠と同時に流産が発覚し複雑でしたが、次はきっと…と一年ほどは二人で気ままに暮らしていました。ところがわたしの婦人病がわかり、未だ妊娠できず現在に至ります。

治療をすればもちろん確率は上がるだろうし、その様な物理的な問題もあるかもしれませんが、正直もう自分には子供を産める力が無いのではと思ってしまいます…そして、お恥ずかしながらまだ子供が欲しいという気持ちよりも、恐怖の方が勝っていてきちんと原因などに向き合えず、行動できない身勝手な自分もいます。

世の中には、なかなか子宝に恵まれなくても前向きに生きている方がいっぱいいます。そんな方達と比べると自分は甘く、こんなに逃げ腰で卑屈になってそれじゃ人の親になれるわけないとも思います。

ですが、どうしても悪いイメージしかできないのです。絶対うまくいくわけない、きっとまた悪いことが起きる、、と思ってしまいます。思えば今までの人生思い通りに行ったことなんてほぼ無かったと思います。努力ではどうにもならならず諦めてきたことばかりの様な気がします。

やっぱり自分には人並みの幸せさえも手に入らないのかな…自分の考えを変えるしかないのかな…と思うと虚しくて苦しくてもう何をどんな気持ちで生きていけばいいのかさえわかりません。

比べてはいけないとわかっていても、とんとん拍子にうまく行っている人を見ると憎しみさえ湧いてきます。

こんな私は親にはなれませんか?
本当に真っ暗なトンネルを毎日歩いている感じで、生きた心地がせず、気が狂いそうになります。行動できない自分にも自己嫌悪なのだと思います。

どうしたら前向きで穏やかな心で日々を送れるのでしょうか?
こんな身勝手なご相談で申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今の私を大事に出来てからの、その先 なんじゃないかな。

前向きになれない私がいたって、いいじゃない。そんなときだって、あるもの。

妊娠や流産。女性の身体には大きな負担であり、人生の中で重大な出来事ですもの。そんな簡単に、割り切ったり、気持ちを切り替えたり出来なくて当然です。
前向きさも、誰かと比べてどうなのか より、今の私を大事に出来てからの、その先 なんじゃないかなぁ。
恐怖があって当然。自分の身体だもの、命に関わることだもの、当然だよ。あなた一人で抱え込むと、苦しいよ。もしかしたら、夫も、そんな気持ちをもっているかも知れない。他の家庭に嫉妬してしまっていたり、幸せじゃないと感じていたり。。。
でも、結婚して、夫婦だから、分かり合えることもある、苦しみを同じものとして抱えてくれる人、支え合える人が側にいるんだとしたら〜。そんな幸せにも、気づいて欲しいなぁ。

どうか、自分を責めないで、無理に変わっていこうとしなくていい、ただ 今のあなたを大事にしていこう。婦人病、出来る治療をしていきませんか(*^^*)
夫にとって、あなたは、大事な人なんだよ◎

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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希望を持つ必要がありますか? 希望も煩悩ですよ…

 『思えば今までの人生思い通りに行ったことなんてほぼ無かったと思います。努力ではどうにもならならず諦めてきたことばかりの様な気がします。』…え、あなたはなぜ私の気持ちが分かるのでしょうか?
 偶然の一致?…ではありません。実は皆が同じような気持ちを抱えて生きています。
 いやそんなことはない、『とんとん拍子にうまく行っている人…』が間違いなく存在するとおっしゃるなら、憎み続けるのも一つの生き方です…辛くて悲しい生き方ではありますが。
 お祈りや、占いで何とかなるかも…やってみますか? 実際の効果があろうがなかろうが、間違いなく気が休まります。これを「気休め」といいます…ただ気休めは一瞬ですので、その行為をずっと一生続ける必要があります。「それなりの時間とお金」を覚悟することが必要でしょう。
 「人並みの幸せ」って何なのでしょう? その「人」って誰ですか? 多分表面しか知らない実在の人物を元にあなたが作り上げた虚像ではないでしょうか?
 皆それぞれが自分の人生を「必死」に生きています…例外無くです。「悪いことをする人」も生きるため、煩悩を満たすために必死に生きています…その是非までは申しませんが。
 私が辛いのは私の煩悩のせいです。「ああしたい、こうなりたい、こうして欲しい」の思いからです。
 そんな私が辛くなくなる方法は、「こうなりたい自分に必ずなる」か、「そうはなれないんだと認める」かのどちらかです。
 どっちを選んでも仏様は私を心配してくださいます。寄り添ってくださいます。
 そのことを受け取れた時に初めて、どうあれ自分が自分として自分の人生を生きていくことが出来るのです。それこそが仏様のはたらきです。
 お子様に恵まれての人生も、お子様に恵まれない人生もどちらもあなたの人生です…優劣などありません。それを教えて下さるのが、皆の命を平等に認めて下さる仏様です。

 

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先々を案ずるより・・

maru様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

杞憂ということもありますが、結局のところ、私たちは、起きている現実に対して丁寧に向き合っていくことが大切となって参ります。

もちろん、なかなか思う通りにもいかないことも多いです。

多いですが、良い結果のためには、それなりの良い因縁(原因と条件)が必要となります。

現実に即して丁寧に向き合うというのも、良き因縁に今、できることから丁寧に一つ一つ取り組んでいくということでございます。

幸せも、まだ起こっていない先のことをあれこれと案ずるよりも、丁寧に現実に向き合っていく中で、その結果へと向けて調えて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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