昔のことが気になって…
今までサラリーマンとして生活してきましたが、「困っている人達の力になることができる仕事がしたい」という思いから、法律関係の仕事に就きました。
今はまだ修業中の身ですが、お会いした方々からお礼の言葉を頂くと「役に立てたんだな、喜んでもらえて良かった」と言ってもらえると嬉しいです。
ですが、いつも頭から離れないモヤモヤがあってふとした時に考え込んでしまって「自分はこんなことをやってていいんだろうか、これまで迷惑をかけてしまった人たちは今の自分を見たら不快に思うんじゃないか」と気分が沈んでしまって急に不安になってしまいます。
モヤモヤの原因はわかっています。これまで生きてきた中でいろいろなことをしてしまいました。不義理と言われるようなものが後悔というかたちで
現れてきます。
意としてしてしまったもの、意とせずにしてしまったもの、いっぱいありますが、どちらにしても相手の方からすれば同じこと。
私がやっていることを知れば「お前がそんなことしていい人間だと思っているのか」「あいつにだけは相談しない」と感じるんじゃないかと思います。
かつて私のことをいじめで自殺の数歩手前まで苦しめた人間が今いじめ撲滅を謳った法人の代表をしています。それを見た私がそう感じました。
今の仕事を辞めて目立たないように勤めていたほうがいいんじゃないか?とさえ感じることもあります。
けど私のところに相談に来て下さった方からは「あんたに頼んで良かった、
また頼むから頑張ってね」とエールを頂くと、頑張らないととも思います。
でももしその方々が私がしてきた不義理を知ったら同じふうに言ってくれないのだろうと思うこともあります。
ありがたいことに相談に乗ってほしいとのご依頼がまだまだ入っているので
表に出さないようにしていますが、誰にも相談できずに苦しい思いをしています。
この苦しみとどのように向き合っていけば良いのでしょうか・・・
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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変わるということ
それが仏教でいう「懺悔(さんげ)」だとおもいます。本当に間違っていたと骨身にしみて分かったとき、それまでの自分を捨てて新しい生き方ができます。それが正しい人生観です。
今まで悪いことをしてきたんだから、罪悪感のなかでそれに見合った生活をしていかなければいけない、というのは間違った考え方です。
人間なので間違いは誰にでもありますが、要は、いかにしてその間違いに気付き、その間違いから何を学んで、自分をどう転じていくか。
昔の自分しか知らない人は、いろいろ言うのはあるでしょうが、自分の身と心をもって「人間って変わるんですよ」っと示して行かれてはいかがでしょうか?
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
悪い癖が出てしまって、今までの悪かったことばかり考えてしまってふさぎ込んでしまいました。
これからは仰る通り、自分は変わったのだと示すことができるように頑張ろうと思います。