孤独に耐えることに限界を覚えています
はじめまして、アイチケンと申します。
よろしくお願い致します。
働いてから徐々に友人と疎遠になっていき、働いてからの友人は長く続かない・・・
彼女も27歳から一人もできず、50にもなって独身です。
職場ではワイワイムードメーカーだし、学生時代もそうでした。
なのになぜ現実はこうも孤独なのか?
(今は独立して一人で仕事してるので職場の仲間もいません)
本当に苦しいです。
孤独のままそれを受け入れ、孤独でも幸せになれるはず、そう言い聞かせて頑張ってきましたが、限界です。
というか、限界越えてきました。
あまりの寂しさに頭がおかしくなりそうなときさえあります。
それでも人生これから。
明るく元気に友達や仲間をいっぱいつくり、結婚もしたいと思っています。
孤独に苦しむ方は多い気がしますが、どうやって孤独を癒せばいいのか?(もちろん結婚や友達ができればいいのですが、現状を乗り切る方法として)
良きアドバイスをお願い致します。
孤独、恐れ
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
基本、人はみんな孤独です
林羅山の言葉です
「人といふものは、とかく私なる欲心によりて、災が出でくるぞ」
アイチケンさんの場合は「孤独」が災でしょうか。
ご自分でもわかっていらっしゃるとは思いますが、いまあなたに人生の伴侶や友人もいないというのは、多かれ少なかれあなた自身にも原因があるということです。
人間同士のご縁というものは、意識して守ろうとしなければ、時間の経過と共に失われてゆきます。
面倒くさいけれど、大事なことほど面倒くさいものなのです。
何事にも、努力は必要ですよ。
人は、独りでは生きてゆけません。
必ずどこかで誰かの世話になっているものです。
それに気づくことなく、自分の得だけを考えて生きる人には、誰も心を開いてはくれないでしょう。
何より大事なことは、あなた自身が日々感謝の気持ちを持って生きることではないかなと思います。
大丈夫、これからいくらでも挽回できますよ。
1.接する人には絶えず笑顔で、優しい言葉遣いで話しましょう。
2.身だしなみを整え、家やその周囲も、きれいに保つよう心がけましょう。
3.小さなことでもよいので、誰かの役に立つようなことをしましょう。
1と2は今からでも始められますよね。
3はいわゆるボランティア的なことですが、あまり大げさに考えず、日常生活の中でふと気づいたことを実行すればよいと思います。
例えば落ちているゴミを拾ってもいいし、お年寄りに席を譲ってもいいし、エレベ-タ-で人の分もボタンを押してあげてもいいんです。
「損か得か」とか「見ている人がどう思うか」みたいなことは一切考えないのがコツですよw
「我を捨てて、誰かのために動ける人」を目指してみましょうよ。
継続するには努力が必要ですが、そんな人の周囲にこそ、人は自然に集まります。
集まらなかったとしても、きっとあなたは充実した人生を送っていることに気づくでしょう。
その時にはもう、孤独は怖くなくなっているはず。
孤独を認め、孤独を超えて
まず必要以上に孤独が悪い事だと思っているとしたら、そちらを改めましょう。
周囲の人間や環境に合わせるがのいい事で、それができない人は協調性がない。不登校・いじめ・凶悪犯罪・孤独死…様々な社会問題の原因を「孤独」にかぶせ、それをいけないものとするような風潮が社会にあるかもしれません。
また、昨今ではSNSの普及で人の「孤独ではない姿」を見せつけられ、誰もが孤独ではないのに「私だけ」なんて考えに至りやすい環境もあるかもしれません。
しかし人は誰もが孤独なのです。「独り生じ、独り死し」と経典にも説かれています。
もし、孤独の解消方法として人との交わりを求めていくならば、いよいよ深く孤独に陥っていくでしょう。私の孤独を救ってくれる本当の理解者などいないからです。それは天上天下唯我独尊というように、私は「誰にも代わることのできないただ一人の尊い存在」であり、同時に周りの人もそれぞれ尊い独りの存在であるからです。
よって、完全にわかりあえることなどできません。だからこそ完全にわかりあえないことを認め、共に仏法という「私の真実」を教えてくださる真理に真向かう存在として出遇う時、人は孤独を超えていけます。
その時本当の友になってくださるのは仏様です。経典には「不請の友(頼まなくても友達になってくれる)」と説かれ、仏法に目覚め慶ぶ人を「我が善き親友」と仏様はほめたたえています。
その時、そのような仏様・仏法に出遇わせてくれた友は「法友(仏法のもとに連なる友)」として見出されていくことでしょう。
よろしければこちらなど参加されてみてはいかがでしょう。仏様の前で、胸に抱えた思いを語り合える友はあたたかいですよ。
「真宗大谷派 名古屋別院の行事・イベント案内」http://www.ohigashi.net/sanka/
その他としては、私なら
①こじんまりしたBARの常連となり、マスターや常連客と関係を育む
②現在の趣味、これから趣味にしたいもののサークル活動に参加
③年齢に会った結婚相談所に登録
などでしょうか。いずれにしても、「孤独と向き合う」ということは一人の人間として大切な時間です。私の孤独を認めた時、他人の孤独も認め、人は支えあっていけるのかもしれません。よき「出遇い」がありますことを。
※「会う」でなく「遇う」は仏教における決定的な「であい」を指すものです。
質問者からのお礼
お二人の僧侶さま、ご回答ありがとうございました。
吉武様
まず、孤独が必要以上に悪ではないというお言葉に癒やされました。
そして今のままではなお孤独になるということも理解できます。
「孤独と向き合う」という大切な時間を悲観せず、もっと楽観的に考えていこうと思いました。
教えていただいた名古屋のイベントにも参加してみようと思います。
実は近くのお寺で坐禅会にでも行こうと思っていたところです。
その他1.2.3も含め、行動してみようという気になりました。
ありがとうございました。
林様
仰られる通り、この状況はすべて自分に責任があります。
書かれているような感謝の気持ちを持って生きる、こういった事が足らなかったんだなと思います。
実はここに相談する少し前からそういったことに気づきつつあって、心持ちを変えようと思っていたところでした。
このタイミングでご指摘を受け、尚更心持ちを変え、感謝や笑顔、思いやりみたいなものを大切にしていこうと思いました。
大丈夫、これからいくらでも挽回できますよ。
このお言葉に勇気をいただきました。
ありがとうございました。
お二人とも良きアドバイスを頂きまして心より感謝申し上げます。