母と向き合う
こんにちは。
私は、30代、20代の3人の子供に恵まれ孫が2人と大変幸せです。
暴力をふるう父…離婚後、子育てらしいこともせず、好きなように、たくさんの嘘をつきながら生きてきた母。
小学生の頃、テレビで見る料理番組の先生に理想の母を重ね『絶対、こんなお母さんになりたい』と思いながらも荒れていった中学、高校時代。
そんな私が、普通の男性と結婚でき今があります。
自分の生活に落ち着きがあるためか、そんな母に恨み辛み等、今まで一切言ったことはありません。
何か祝い事があれば招き過ごしていました。
娘二人、嫁ぐ際に…親の面倒を見ることは順番であること。
いつかは、自分もそうなる日が来ること。
だから、友達に愚痴を言いながらも義父母を大切に思うこと。
を伝え、私自身も友達と愚痴を言い合いながら笑い話に変えて義父母のお世話をさせて頂き二人、看取りました。
母は、79歳になりました。
私の記憶がある時から今の今まで、嘘をつきながら好きなように生きています。
切れない縁をメッタ刺しにしたいくらい、嘘/身勝手を繰り返しながら生きています。
本人に、そんな自覚はなく、これ以上優しい人間はいないといつも口にしながら生きています。
昨年末、病をきっかけに同居することとなりました。
近くに弟家族が居ますが、勿論無理なわけで。
夫/子供達は、母の事を十分理解しているので、私がイライラしないよう陰ながら協力してくれます。
有り難いことです。
同居して、四ヶ月が経ちます。
相変わらず、好きなように…嘘をつきながら…人の悪口を言いながら居ますが、母の前では嫌な顔もせず、淡々と生活しています。
嫌だ、何で私ばっかりが、うるせーふざけんな、と思っていても結局は面倒見るんだから…だったら気持ち良く見ればいいじゃん。
と、毎日、心で葛藤です。
理屈ではわかっているのに気持ちが安定しません。
気持ちの持ちようを、頂ければと思います。
お忙しいなか、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
善因善果
相手が嘘つきだろうが、身勝手な人だろうが、お母さんだろうが、死ねばみ-んな仏さん。
好きなように・・・嘘ついて・・・・人の悪口を・・・・・
と、いちいちこだわっているのは、実はあなたの方なのです。
どんなひどい目に遭わされたとしても、あなたがそれにこだわらなければ、無いのと同じ。
腹は立つかもしれません、けれど、怒るのはその瞬間だけにして、あとあと留めないようにはできるはずです。
善因善果。
あなたのなさっていることは大変素晴らしいこと。
劣悪な環境で理不尽な目に遭ったり、辛い経験もなさってきたのかもしれませんが、それでも人生を踏み誤ることなく、しっかりご自分の足で大地を踏みしめて生きていらっしゃる。
そのうえで、好きでも無いけれど(笑)ちゃんと親の面倒も見ている。
その行いが、その生き方がなにより尊いことです。
善い行いには、必ずよい結果がついてきます。
きっとこの先、善いことありますよ^^
介護でストレスが溜まったら、またこのサイトで坊さん相手に愚痴ってください。
そうしてたまには美味しいものでも食べて、家族と笑いあって、楽しい人生を送りましょ♪
王様の耳はロバの耳
こんにちは。これまで大変に努力して来られたのですね。お顔も存じませんが、ご苦労さまですと申し上げます。
さて、「嘘をつきながら、人の悪口言いながら」…とのことですが、その辺りがスルーできない、というのですね。もはや諌めるとかの段階ではないのでしょう?「息するごとに嘘をつく」人で、周りも分かっているなら、「貴女からみるとそうなのね」、と一応「なんと言っているかは聞きましたよ」で放っておくことはできますか?真に受けも正しもしない。質しもしない。人間は、反応の薄いことはやらなくなっていきます(弱化)。言い返したり問いただすと、「反応があった」ということでやり続けます。放っておく事ができれば、一番よい対応だと思います。「嫌な顔もせず淡々と生活」、これが一番です。
>「嫌だ、何で私ばっかりが、うるせーふざけんな」ですが、この思いが出てきたら、「あぁ、私はまた此処で嫌がってるなー。」と観察してください。評価はしない。「可哀想な私」とか「弟はああなのに」と比較するとか。「よくやるよね、私も」です。恐らくご主人やお子さんはそう見てくださっているのではないでしょうか。その健気なご自身を愛する。そうしていると、「嫌だ云々」は、その瞬間の感情としては起こりますが、いつまでもそこにしがみつかずに居られるようになっていきます。だって、もう次の感情が起きているのですから。
「嫌だ」と思うな、ではありません。その感情は放置し、「よくやるよね、私も」に移動します。これは練習ですので、暫く意識的に行ってください。言葉を出すと意識は変化しやすいです。言葉って、そういう風に使うものです。
「王様の耳」の話も、いつまでも持ち続けるから苦しくなって穴を掘りたくなるのです。穴を掘って流してもいいのです。穴を掘らなくてもお仏壇に向かって愚痴ってもいいのです。放置ができないなら放出。流して霧散させるというのも、やり方の一つです。
質問者からのお礼
林 浩道様、お忙しい中、有難うございます。
こだわっているのは、私の方…。
そこにこだわらなければ、無いのと同じ…。
そんな事、思いも考えもしませんでした。
全く、その通りだ。
いやぁ、毎日顔を見るようになったことで、その事ばかりを自分で浮かびあがらせてたんだ。
と、凄く考えさせられました。
毎日毎日ギリギリした気持ちでいたので、態度に出していないつもりでも、出てたでしょうね。
今、気持ちがフゥ〰っとしてます。
とても、わかりやすい答えを頂き有り難うございました。
佐藤 良文様、ご回答下さり有難うございます。
真に受けない正しもしない。
文章で見ると、とても理解しやすく入ってきます。
おっしゃる通り、主人と娘達はそうです。
有り難いです。
あまりの身勝手な行動や言動に堪忍袋の緒が切れて、何度か疎遠になりながらの何十年なので母の事も私の事も一番良くわかっています。
なので、母が引っ越して来る前に…後、30年も生きる訳じゃないんだから…いくらでも愚痴は聞くからさぁと言ってくれました。
真に受けない正しもしない、ふーん、へぇー、って軽い気持ちでいることですね。
今日の今でもイラッとする気持ちになりながらも、お坊様方の文章を繰返し読み、フゥワーっと息を吐いてやり過ごしています。
お忙しい中、有り難うございました。