永遠の地獄について
永遠の地獄についてお坊様はあると思いますか?
永遠の地獄などないなんて考えは
着るものも食べるものも住む場所もある先進国で生まれた人の平和ボケした考えだと思うんですが
量子力学の光には波と粒が最初から同時に存在する二重性の性質があるという理論において
この世界はどうして生まれたのかを究極的に突き止めると全ての根源は量子力学の二重性の性質に行き当たるそうで
この世界は最初から有ったと同時に無かったという最初から同時に存在する二重性の性質
何も無い空間でもそこにヒッグス粒子が有るという最初から同時に存在する二重性の性質
全ての根源はこの量子力学の二重性の性質に行き当たるなら
死後の世界において永遠の地獄はなかったと思ってもそれはあるという二重性の性質を想定できますよね
だとしたら永遠の地獄があると思うんですが
イエスキリスト様はその永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力があるんですが
全能なる神ではなくただの人間であったお釈迦様は
瞑想して悟りを開いたことで
永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力があるんですか?
全ての煩悩の塊 100文字以内には収まらない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命終われば答えは出ますから…それまでは置いときましょう。
『イエスキリスト様には永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力がある』と信じておられるのなら、そちらの信仰を深めていかれたら良いのではないでしょうか。別に坊さんだからひねくれて、皮肉で申しているわけではありません。
あなたの考えておられることは多分、御自身で勉強し、また高僧の教えを理解出来たら答えが出るような問題ではないように思います。
結局は頂くか頂かないか…仏を頼りとするかしないかです。…しないならば自分で生きていくしかありません。悩みや苦しみとかいうものも、自分で何とかしていく乗り越えていく…そういう生き方になります。
それは世間でいう一般的な生き方、『正しく勝れた生き方』でしょう。
永遠の地獄の有る無しはあなた御自身で決めるしかないのだと思います…有る無しを「知りたい」と言いながら、多分、あなたが御自身でどうしても「決めたい」のではないでしょうか。
死んだ後のことは生きている人間には分かりません。だから地獄の有る無しを私達が詮索することに意味はありません。
ただ、今現在 皆が苦しみの中で生きているのは事実で、昨日起きた暗殺事件を例に挙げるまでもなく、「この世は地獄…」のような気がします。
その地獄を作り上げているのは、えんま様でも地獄の鬼でもなく、生きているこの私達です。
そんなあなたが心配だ…とおっしゃる仏様は「私を地獄に落とせない。落とすまい」とおっしゃって下さいます。
そのお言葉を頂くかどうかです。
頂いた上で、死んだ後 地獄に落ちたらそれはそれで仕方ないですよね。
まあ、私について申せば「何だ、お父さんもここに来てたんですか…やれやれ。どうですか20年ちょっとの地獄暮らしは…まだまだこれから? 仕方ないね。じゃあ私も一緒に責められるとしますか…で、元気にしてましたか?…」といった感じです。
死んだ後必ずあなたの求める答えは出ますから、今のとこはそれはちょっと置いといて良いんではないでしょうか…?
「空と縁起」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「永遠の地獄」や「絶対神」という実体的なものを論立てしてしまうことを、仏教では「常見」として退けることになります。
かといって、「無」、「虚無」ということも実体として論立てしてしまうと、それは「断見」として退けることになります。
仏教では、全てのモノ・コトにおいては、永久永遠にあり続けるような、何か独立自存的なもの、他に依存せずに成り立っているものは、あり得ないと考えることになります。
では、全てのモノ・コトというものは、どのように成り立っているのかと申しますと、因縁(原因や条件)など、他に依存することによって一応は成り立っているものとして説明することになります。
上記の考え方は、「空と縁起」という仏教思想哲学の基本的なものとなりますが、是非、これから仏教を学ばれていかれる中で、「空」とはいかなる事態のことか、「縁起」とはいかなる事態のことかについて、少し意識しての理解も進めて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌