自然に自分が変われたなら。
最近、前にやっていた戦争ゲームを再開しました。
昔からいじめにあっていた私には当時はすごく怖い類いのゲームで、ショック療法のつもりでこわごわとやっていました。
結局一旦やめることになったのですが、楽しんでいる人は多かったです。
私にはその心理が当所は理解できませんでした。
でも再開してみて、ごく普通に楽しめている自分がいます。
対戦も戦略も相手があってこそ楽しめます。
いつの間にか知らない間に自分の中が少し変わったのかもしれません。
ここやカウンセリングでもずいぶん支えてもらえたのが大きい気がします。
現状はかなり酷いままですが自分の中が変わっていけば状況も変わっていくかもしれないと思いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「全ては過ぎ去って新しく生まれる」と念じる
らら様
こんにちは。拝見させていただきました。
変えよう変えようともがいている内は案外逆に今の心の有り様を意識して固執してしまって変わらないものなのかもしれませんね。「タヌキを思い浮かべないでください!」と言われても思い浮かべてしまうのが人間です。私たちは心という名前の馬に乗っているようなもので命令したり強制してたりしても言うことはきいてくれないものだと思います。
また、仏教では心が「妄念」を作り出すと説きます。私たちは自分で作ってしまった、あるいは他人から作らされた価値観に振り回され「色眼鏡」で物事を見ています。「どうせ自分なんて駄目な人間なのだ」というメガネで見れば、どんな出来事も「自分を否定する」ように映るのです。
こんなお話があります。あるお寺の門前で商売をしているお婆さんがいました。お寺の住職がたまたま通りかかったところお婆さんが泣いています。「いかがなされた」と聞くと、お婆さんは「孫娘二人が一人は傘屋さんへ、一人は靴屋さんへお嫁にいきました。それからというもの、晴れた日は、あぁ傘屋が晴れでは儲からないので孫が不憫に思い、雨が降れば靴屋が儲からないから不憫に思い、毎日悲しんでおります」と答えました。住職は「お婆さん、こう考えてみはどうか。晴れた日は靴屋さんが繁盛して孫が喜び、雨が降れば傘屋が繁盛して孫が喜ぶと」それを聞いたお婆さんは毎日を喜ぶことができましたとさ。
「つらい」と思ったら否定せず、つらい「と思っているんだなぁ」とつけて口に出す。そして諸行無常「全ては過ぎ去って新しく生まれる」と念じる。「私は私でいいんだよなぁ」と「思えなくても」つぶやく。つぶやいているうちになじんできます。
あなたは白鳥なのに「アヒルの子」として生きてきました。だから苦しいのだと思います。アヒルのふりしていないと受け入れてもらえないと思ってきたからです。少しずつ「白鳥のふり」をしてみませんか。
昨日までのあなたは今日はいない
人は常に変化しています。同じような景色も昨日と全く違います。なぜなら私たちの生活にはみ「今」という時間しか存在していませんから。
常にあたらいことに触れっぱなしです。
昨日まで苦しいと感じていても、生まれ変わるのです。1秒前の様子すらとっておけないものです。
そうして人は成長していくのですね。
質問者からのお礼
邦元様
ご回答ありがとうございます。
あまりに酷い状況で過ごしていると、どうすればいいのか、ずっと酷いまま変わらないんじゃないかと頭の中は大変なものですが、気がついたら、どこかに成長して変わっている自分があるものなんですね。
1秒前は過去。常に変わっていて同じものはない。
そういう事なんですね。
ありがとうございます(^^)
けんじゅ様
ご回答ありがとうございます。
おばあさんとお寺の住職さんのお話、凄く分かりやすいです。
事実ひとつが悪くも良くも見えるものだとよくわかるお話ですね。
こちらでこうして、色々と何度でも教えていただけるので、少しずつ自分の気がつかない程度かもしれませんが、色眼鏡の色が薄くなってきているのではないかと思います。
ありがとうございます。