おはようございます。
たびたびの質問、本当に申し訳ないと思っております。
タイトル通り、外へ出るのが怖くて仕方がありません。
私はメンタル科へ通院しており、そして就労支援や職安の専門職さんの面談に通っているのですが、
はたからの目が怖くて仕方がありません。
幸いな事にもう、世間体ばかり気にして私を囲い込む親もすでに大往生、「人に恵まれているなぁ」と感じているのですが、
どうも往来を行く人々の目が怖くて仕方がありません。
専門家さんいわく、私は
「とてもよく頑張っている。私の担当の子たちの半数以上は具合が悪くて貴女のようには動けない、部屋からも出ることができない」
そうなのですが、その他の私の関係者は、
「それはみんなできること、慢心してはいけない」
と言います。
現に、依然通っていた古刹でも、ベンチに座っていたら寺務の女性がガン見してきたり、とあるファミレスでも板場から店員が出てきてホールの店員さんと私を指さして笑われたことがあります。
挙句の果てには別の職安のおばさんに、
「会社ってのはね、元気な子がほしいの。病人なんていらないのよ。発達障害なんて言ってみなさい、印象が一気に悪くなる」
と、憎いくらいの笑顔で言われ……
専門家から見たら私は
「頑張って動けているほう」ですが、道行く人から見れば
「あいつはなんだ、いつもふらふらしていて。俺たちは一生懸命学校や会社に行っているのに」
と思われているように思えてしかたがありません。
ゆえに、
私が道を歩いたら迷惑なのか、
皆さんの視界に入ったら気味悪がられる。
阿弥陀さま、早く迎えに来てよ…
こんな考えに取りつかれてしまって、今とてもしんどいです。
朝早くからすみません、
どうかお助けください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
つらいですね。気持ちはよくわかりますが、まず根本から考えてみましょう。
なぜ人がこわいか?なぜこわく感じてしまうか?世界を見ているのは私です。私が「人はこわい」と思い込んでいれば、人がこわく見えてしまいます。
催眠術で、ただのチョークを「これは火のついたタバコです」と思い込ませて腕に押し付けると、飛び跳ねて熱がって、実際に火傷して水ぶくれになるそうです。
「性格」ってありますが、あれは産まれてから現在までに長年かけて自分でかけてきた催眠術のようなものだと思うんです。
自分が、「人生って楽しい」と思い込んでいれば、楽しい人生がそこにありますし、「人生は苦しい」と思い込んでいれば、苦しい人生を生きることになります。それは世間一般的な、よい環境に育ったとか、悪い環境に育ったとか、外の環境や条件はあまり関係なく(全くないとはいえませんが…)、自分が今「どう思っているか」がそのまま世界として現れるんです。
まずそこまでふまえてですが…
「思い」は私ではないと思うんです。「私自体」ではない。
ずーっと一日中考えてないですか?思いが湧き出っぱなしではないですか?それで「それ自体」が私だと苦しいですよね?
でも、ワァーッとネガティブな思いが湧いてきたときに、「これは私じゃない!」と思ってみてください。もしくは、意識的に深呼吸をしてみてください。思いに巻き込まれていない瞬間を味わってほしいんです。一瞬でも構いません。その瞬間が「ほんとの私」です。それが「事実」なんです。
今まで見てたのは「私の思いの中」を見て苦しんでいたんです。頭の中の声に苦しめられてきたんです。私の頭の勝手な「解釈」に苦しんでいたんです。
でも、それは事実ではありません。ただの思いです。
長々書き連ねましたが、これもただの「言葉」でしかありません。読んだらこの言葉も放してください。大事なのは「感じ」です。「いい感じ」です。
「あ〰!!わかんない!」ってなるかもしれませんが、頭の余計なエネルギーを体の方に下ろすような感じで深呼吸をして…。
大丈夫です!阿弥陀様はあなたの中にいますよ。
人の目が気になる時は、目を見ないようにするのも一つの方法ですよ。私も人の目を見て話すのが苦手なので、相手の鼻を見て話してます(これは内緒)。
よく見ると鼻の形も人それぞれで個性的ですよ。
通ってるお寺はもしかして増上寺でしょうか?
せっかくなので行事予定をもらって、別時念仏や法話会などに参加してみましょう。
阿弥陀様がまだお迎えに来ないのは、あなたにまだしっかり生きて欲しいからだと思いますよ。
理解のある仕事場が見つかるといいですね。
それではまた。
追記
そうですか、それは良かったです。
また足を運んでくださいね。
涙って流れると不思議に気持ちが落ち着きますから、流れる時は自然に流せばいいですよ。
気をつけて帰宅してくださいね。
聖章 先生
ご回答ありがとうございます。
「いぜん」の字を間違えてしまいました。正しくは「依然」ではなく「以前」です。
本当に申し訳ありません。
やはり昔の苦い思い出と、件の「古刹」でのキツい体験がトラウマになっている
ようです。あの寺と違って、増上寺さんは私も皆も同じ言葉と声で接してくれるのに。
今日は観音様の体を洗った後跪いてお顔を仰いだら、目じりに水滴がついていました。
今の私にとって仏様が親のような存在なので、申し訳ないやら悲しいやらで、
私も目頭が熱くなりました。
宗像義順 先生
ご回答ありがとうございます。
エーッ、チョークで火傷ォォオ!?
そう言われて見れば、初めてぶっ倒れた時に内科に駆け込んだら、
異常なしって言われて精神科に行くよう言われたの思い出しました…。
つまり、過去の思い出と事実(現在)は違う、って事なんですかね…。
そうだ、そうですよね。阿弥陀様は、いつも私と一緒にいてくれてるんですよね。
混乱のあまり、忘れてました。
大好きな親なのに。ごめんなさい。
【聖章 先生 にご追伸】
お説教行ってきました!
物怖じしない導師さんで、最初はちょっと「ちょっと話しづらいかな?」と感じたのですが、
茶話会の後にとても丁寧に相談に乗ってくださり、件の寺のことをこぼしたら他宗派なのに
「同業者として本当に申し訳ない!すみませんでした、代わりに謝っときます」
とまで言って下さいました。他にも為になるアドバイスを沢山くださり、
嬉しくて半分泣きながら今帰り道歩いてますw
(ここんとこ涙もろくなったなぁ、オイ…)