理想と現実
初めてご相談をさせていただきます。
何卒お智慧をお貸し下さい。
私はHSPと言われる感受性の高すぎる性格のようです。
診断項目23個中11個以上でHSPに該当とのことでしたが、実に20個に当てはまってしまうほどでした。
それを前提にご相談申し上げます。
私は、とある人間関係において極度のストレスを抱えております。
色々とご相談させていただく前に、他の方のQ&A等を読んだり、その他様々な宗教や哲学をベースとした考え方のものを読んでみたりしました。
その中で、『執着』や『貪り』の念が強すぎる自分に気づくことが出来ました。
本質に感情や思考で脚色をしたものがモノの見方であって、本質は一つしかないことも学ばせていただきました。
私は感受性が高すぎて、良いことも悪いことも極端に捉えてしまいがちなので、物事に過度な期待はせずに、落胆を軽減する方法を試しているところです。
極力ありのままの本質をそのまま受け取ることが出来れば、感受性に左右される感情をコントロール出来るのではないか…
しかし、なかなか上手く行きません。
生まれ持った気質とも遺伝的要素もあるとも言われるHSPというものと、47年間も付き合って来た訳で、急に変わるものではないかもしれません。
でも、今は私の精神は崩壊寸前です。
全く自分の身の回りの現実、家庭も仕事も全てにおいてそれを本質として受け取ることが出来ません。
もっと目に見えないところに本質があって、そこに美しい理想の現実がある。
そんな想いから抜け出すことが出来ません。
単なる理想主義なんでしょうか?
現実逃避なんでしょうか?
決して周囲との関係が悪い訳ではなく、生活が上手く行っていない訳でもなく、ただまるで虚無的な感覚に陥ってしまうのです。
現実の日常というものを、どうすれば素直に受け取ることが出来るでしょうか?
より良く生きるためのお智慧をお貸し下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理想はただの理想でしかない
理想を思い描くことで、そこに至らないことを悪とする気配があるのではないでしょうか。そこに白黒思考の原因があるのです。
あるがままを受け入れると学んでも、あるがままの状態を想定し、そこに至ることを目標としてしまう。そうすることで、人間の考え中心で物事を捉えてしまうのです。私たちの生活は、人間の力、考えの及ばないところにあります。謙虚に目の前の様子を、良し悪し、損得なしで受け入れている様子にいるのです。
私は今紅茶を飲んでいますが、口に運べばただ紅茶の味がします。コーヒーの味を想像していても、舌にのせれば紅茶の味です。そうして目、耳、鼻、舌、体を使い、体で学んでいくのです。心といわれるものや考え、思いは取り扱わないことです^ ^
質問者からのお礼
邦元様
ご回答いただきまして誠にありがとうございました。
あるがままを受け入れることが、ひとつの理想になってしまい、そこにまた自分中心の思考が生じてしまう...
非常に考えさせられました。
また、白黒思考という言葉にハッとさせられました。
確かに私にはグレーゾーンを許容する部分が非常に欠落している...と。
白黒思考という言葉を色々と調べるうちに、境界性パーソナリティー障害という言葉にも出会いました。
多少その傾向はあるのかもしれませんが、まだ自分自身で改善出来そうな気がしています。
ご縁なのか、邦元様のお寺様は私の自宅からさほど遠くない場所にあるようですね。
ホームページも拝見させていただきましたが、機会がございましたら、是非お伺いさせていただき、座禅会に参加させていただきたいと考えております。
また邦元様の書かれたブログにも、私が参考にすべき内容が示されておりました。
お伺いさせていただく時には、改めてお礼を申し上げます。
この度はありがとうございました。