守護霊、霊言について
最近話題の清水富美加さんが出家した宗教団体では「守護霊インタビュー」「霊言」という本を出しているみたいですが、お坊さんたちは「守護霊」「霊言」について、どのように考えているのでしょうか。そもそも「守護霊」「霊言」というものはあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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守護霊に頼るのではなく
shiba様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「守護霊」などの「霊魂」の存在については、仏教では基本的に「無記」(議論するに益がない)という立場になりますが、もし、近い存在として、あえて述べるならば、今私たちにあるような粗い肉体や粗い意識に左右されない、微細なる意識、微細なる心が身体の影のようなカタチを示すことのある「意成身」というものが考えられます。
しかし、この「意成身」という存在は、非常に不安定であり、また、永らくそのままのカタチの状態で留まることもできないもので、業・カルマの因縁次第により、風に流される風船のように自らでコントロールできずに彷徨うものであります。それもおおよその期限があり、次の様態へと、業・カルマの因縁によって移っていくことになります。
仮に、その意成身が、守護霊として、誰かの意識や行動などに働きかけるようなことがありうるのかと申しますと・・正直、それは無いと言わざるを得ないところがございます。
また、例え守護霊として守護の働き・作用が実際に持てるものがあるとしても、我々凡夫が知覚するのも、やはり難しいものになるのではないかと考えますし、そのような存在があったとしても、迷い苦しみの中を輪廻している存在であれば、やはり、無明(根本的な無知)・煩悩によっているところが大であり、ろくでもないのは言うまでもないものとなるでしょう。
ただ、もしも守護霊が、仏陀・如来の変化身、応身や、あるいは修行の進んだ聖者による(密教の無上瑜伽タントラにおいて説かれる)幻身という存在であるならば、守護してくれる良い意味合いの働き・作用があるかもしれませんが・・でも、変化身、応身、幻身を知覚したり、あるいは何か直接に教えを頂くとするならば、やはり仏教におけるそれなりの修行レベル(例えば、菩薩における十地ある修行の内の第八地以上など)が必要になるものではないかと存じます。
いずれにしても、守護霊云々よりも、これからの赴きを決めていくのは、己の行い、業・カルマ次第となります。要は、己自身における善い動機と善い行動という善い因縁を調えることにより、善い結果へと向かって参りたいものとなります。
しっかりと善い因縁に努めていくためにも、守護霊の存在に頼るとかではなくて、実際に仏教を修習して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
はい、守られてます
拝読させて頂きました。その方々のことはよくわかりません。
が、しかし私は魂が人々を守ることや言葉を通して人々を導いたりすることは間違いなくあると信じています。
私もあなたもたくさんの方々の魂に守られて導かれて今を生きていますからね。
私はその様なことに日々感謝しながら毎日を生きております。
考え方は様々ですから考えるきっかけとなさることは良いと思います。
質問者からのお礼
あるということですね。ありがとうございました!