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何を指針に生きればよいのでしょう

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有り難し有り難し 37

心身ともに健康に生きるにはどうすればいいのでしょうか。

一度壊れた心は戻らないのでしょうか。

ずっと感情に振り回されて生きてきました。でも今まで得た成功は感情がモチベーションになったからこそでした。主に自分の感情と能力や現実性を天秤にかけて取捨選択してきました。感情に振り回されず人生の選択を行っていくには、何を指針に生きていけばいいのでしょうか。

バランス良くなんて器用なことはすぐにはできません。中庸というのでしょうか?どうしたらそこにたどり着けますか。

漠然とした質問をぶつけてしまいすみません。もしよかったらよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こころはこわれない

あなたの心は壊れていません。
きっと、悪いことをちょくちょく思い返しているだけなのでしょう。
それはひょっとすると誰かにSOS信号を発している状態かもしれません。
もし自分で陶酔の自覚があったら、強い気持ちで断ち切るほかはありません。
人間時として悲劇のヒロイン、悲劇のヒーロー症候群に陥り、自己陶酔してしまうことがあります。
冷静になって、すぐさま、心の善玉菌回路を復活させましょう。
その為には、もうネガティブな言葉、思いを慎むだけで良いのです。
ここでの質問も可能ならば、言葉を改めてお礼欄にでも再送信してください。
自分がなネガティブな言葉を口にするとそれだけで脳は影響を受けて、本当にネガティブになってしまうものなのです。
自分が発するもの、自分が思い起こすことは、人生すべて手前もち、自己責任なのです。
私は、あなたを責めてもいません。これもどうか悪く受け止めないで、私をネガティブな事を思わせないようにしてくれているんだと、ポジティブに受け止めてください。
人は思ったことや思ったものになる訳ではありませんが。思った性質に染まるということがあります。
今日から、ネガティブな言葉遣いと、悪く思うことは我が身に毒であると思い、一切使わないようにしてみてください。
否定しない、悲観しない、批判しない。
これを33回言ってみてください。
そして終わったら
肯定する、楽観する、その通りに受け止める。
と33回言ってみてください。
終わった後に、こんなこと言ったってダメだ…と思ったり、口にするようでは、それがネガティブな思考です。
これは、自分がどんなことがネガティブであるかを自覚がないために、それをさせないようにするネガティブマインド封じです。
こころはこわれない。
いつも変化しているだけです。
より悪く変化させちゃダメ。
より良く変化させていこう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

心は壊れても崩れても絶対立て直せます。

初めまして、霊河太樹(よしかわたいき)と申します。

漠然とした質問を、と謝られることはございません。
抱えているお悩みをhasunohaに投稿していただき、本当に有難く思います。

タイトルにもある通り、壊れた心は戻ります。
況して“絶対無理だ”ではなく、“どうすればいいのだろうか”と考え
(hasunohaに投稿など)動いていらっしゃるmi様なら絶対に戻せます。

人は誰しも、人と接する上で、考え事をする上で、生きる上で
“感情”というものが必ずあります。

感情がモチベーションになって得られた成功もあるとのこと。
どうか今までの時間を否定されることなく、お陰で気付けたことがある、と考え過ごしていただきたく思います。

“バランス良く器用”な人に、心の底からなりたいと思えていますか。
というのも、バランス良く器用な方で様々な空しさを抱えている方は珍しくありません。
求めた場所に辿りついた時、今度は違うもやもやが生まれてはどうしようもないです。
(勿論これは杞憂に終わる場合もあります。)

ですので、そこを目指すよりも
自分の良いと思う部分、良くないと思う部分の認識を深め、
何事も受け入れる準備が出来ている“心”を形成することから。

(その“感情”というものに、自分は振り回される人間なんだと心から受け入れられると、振り回されそうになった段階で気付き引き返せる自分になっていきます。)

「これもまた自分」
そう思えるようになることが、感情に振り回されぬようになる大切な一歩目だと、私は思います。

その上で根底に、自分が一番重きを置く“考え方”を構築する。

例えば「何をして生きていくか」ではなく、
「生きていく上でこれだけはしたくない」など。

何を指針にして生きていこうかと考えるより
生きる上で、mi様の本当に大切なヒト、モノ、コトを明確にすることで指針が表れるのだと思います。

以上を踏まえて、自分と対話する時間を今一度作られては如何でしょうか。
またモヤモヤされたならばいつでも何度でも投稿して下さい。

長々と失礼致しました。
有難うございました。

霊河 太樹

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有り難し
おきもち

個別相談可能
人の欲、悩みというものは生きている限り絶えることがないですが、そのもやっとしたものを少しでも和らげたり、そのモノコトと向き合うために、 微力ながらお手伝いをさせてもらえたらなぁと思います。

考えるから動けない、ねじ伏せるから健全になれない。

心身ともに健康に生きるには・・・

欲を持ちましょう。
貪欲になりましょう。

感情に振り回されれば自分の心に疑問が生まれます。

お釈迦様も、疑問から悟りを開かれました。
疑問のないところに悟りなどあり得ません。

貪欲になって、自分の感情に振り回されていると気付いた時に初めて、一歩自分から離れて冷静に自分を見つめられるのです。
悟りもまた欲から生まれるのです。

指針なんていりません。
目の前にあることをこなしていく中で、その都度指針は変わるものです。

人はいくら経験をしても成長などしません。
その経験を反省し、自分なりに修正しようとするから成長するのです。

その時の自分のキャパ、それまでの自分の経験による反省値、それによって指針も変わってきます。

わかったような気になって内観することや、教えられたことをそうしなければと頑なに思うことは、返って理屈で自分をねじ伏せることになりかねません。
いつか必ずボロが出ます。

心が壊れていると思っている内はまだ壊れてなんかいません。
どうにかしたいと思っている内は、自分でちゃんと心が分析出来ているという証拠です。

人と比べた成功など、何の役にも立ちません。
じぶんが、やった!と思えることならば、どんな小さなことでも成功なのです。

理想の身心など簡単には手に入りません。

失敗したら次を考え、成功したら心が喜び安堵する。
失敗ばかりを繰り返すと心が疲弊してしまいますが、逆に成功ばかりを繰り返すと、心が増長してしまい物事が見えなくなってしまいます。
小さな失敗と成功をくり返すからこそ、心を健全に保てるのです。

バランス良くなんてしなくて良いんです。

中庸なんてたどり着くことを考えずに、目の前の見近なことをやり遂げることのくり返しが、おのずから目指すものを見せてくれます。

今やりたいこと、それが指針です。
今これをやりたい、それが選択です。

難しく考えるから動けなくなる。

動いて失敗したとき初めて、どうするかを考えたらいい。

その時気付いたら、もっと先へ進めている自分がいるかもしれませんよ。

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有り難し
おきもち

煩悩は悩み苦しみの原因

煩悩をスキャンしましょう。
気分が優れないときや、感情に飲み込まれそうなときは、
「欲・怒り・怠け・プライド」と念じてみてください。
該当する感情にヒットしたら、
「煩悩は悩み苦しみの原因」と思い出してください。
以上です。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

決断の連続で生きている。しかし意味は付け加えない

miさま

以前お礼の言葉の中に、「決断をどのように・・・」といった内容がありましたので、今回のお悩みと関係しているのかと思い、お返事を私なりに書かせていただきます。

人は生きていくときに様々なことを考え決断をして生きています。ビーフORチキン
ライスORパン そんな時様々なことを計算し決めていくのでしょう。パンよりライスの方がヘルシーか、しかし、ビーフシチューにはパンがあうか。
など・・・

そうしたことを瞬時に考え決断をしているのではないでしょうか。しかし、仕事の決断となれば損得では決められないように思います。損得のみで決めてしまうと、続かなくなってしまいますよね。本当にやりたいことなのか。やりがいをみいだせているのか。そこが重要な気がします。
「成長したい。」「こうなりたい。」「ああなりたい。」という欲望がありそしてそこに向かうのではないでしょうか。
例えば、将来のことを考えたときにいつも考えとして浮かんでくることは、自分のやりたいこととなるのではないですか。

しかし、考えに執着し振り回されていると何にも見えなくなり、決断どころではなく、苦しみの生活を送ることになります。
そうならないためにも、現実を見る練習をしてください。思いが出てきたときに気が付けるようにご自分を観察してみましょう。
おのずと頭の中が整理され、決断できるようになると思いますよ。

私たち仏教徒も、仏教の智慧によりすくわれたいの願い、学び実践していくのでしょう。欲望がいけないわけではありません。そうしたことで決断をして生きています。

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有り難し
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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

皆様
回答ありがとうございました。
それぞれのご回答を、じっくりと何度も読み返しました。大変参考になりました。
また質問させていただくかと思いますが、よろしくお願いいたします。
このたびはありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ