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教えて下さい

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「ご縁」とは
自分から努力して引き寄せるものですか?
それとも巡ってくることを待つものですか?

「ご縁」について、教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

因・縁・果

努力した上で、巡ってくるのを待つものかもしれませんね。

結果(果)をひき起こすための直接的内容な原因を因(内因)というのに対し、外から助ける間接的原因を縁(外縁)と言いますが、どこからどこまでが因でどこからが縁と明確に区分できるものでもなく、広く因と縁を合わせて因とも言うし縁とも言う事もあります。
そして生じた果がまた因ともなり、縁ともなり、因・縁・果が網の目のように繋がっていくのでしょう。

よく言う例えとして

「花の種をまいたら花が咲く」という事象は

種をまくという行為が因
花が咲くのが果
花が咲くために必要な水や土の栄養や日光を縁

と言ったりします。

では、花が咲くのに「種をまくという行為」、すなわち「努力」が必要かというと、ごくまれには花の種を食べた鳥が飛んできて庭でフンをしたらそこから芽が出た、なんてこともあるわけです。
また、そもそも私が「種をまくという行為」すら思い通りになるわけでもなく、

種を買うお金がある
種がある
種をまくことができる身体がある
種を作った人がいる
種を届けた人がいる
種をまく庭がある
種をまいた時に鳥に食べられない
種をまいた時に突風で飛ばされない
等々

私ができると思っている「努力」、ここでは「因」もまた、数々の「縁」に支えられていることがわかります。
「できる」と思った内容が「できた」という事実は「たまたま」なのです。

それでもやはり、「できる」から「できた」への間にある「やってみる」という実践は望む果への因縁をととのえる上で大きいことではないでしょうか。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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ご縁は「調える」もの

ご縁は「調える」ものだと思っています。

「人事を尽くして天命を待つ」と同じ考え方ですね。

自分自身で心・身体・能力・環境をベストコンディションに近づける。
出来ることをやりつくしたら、あとは全ておまかせする。
すると、それにふさわしい結果が向こうからやってくる。

ひたすらこれの繰り返しです。

ご縁を「調える」ことに意識的になると、だんだんと人生が豊かになります。

毎日少しずつ、自分の力で自分のことを幸せにする訓練を積む。
結果を急がず、機が熟すのを待つ。(むしろ忘れるくらいがちょうどいいかも…笑)
望んだ結果が出たら、感謝し謙虚になる。
望まない結果が出ても、感謝し謙虚になる。(長い目で見れば、未来にやってくるもっと大きな幸せの糧になるのです…!)

これが「ご縁」とのおつきあいのコツだと思います。
参考になれば幸いです。

合掌

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質問者からのお礼

とても深いお話をありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ