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因・縁・果
努力した上で、巡ってくるのを待つものかもしれませんね。
結果(果)をひき起こすための直接的内容な原因を因(内因)というのに対し、外から助ける間接的原因を縁(外縁)と言いますが、どこからどこまでが因でどこからが縁と明確に区分できるものでもなく、広く因と縁を合わせて因とも言うし縁とも言う事もあります。
そして生じた果がまた因ともなり、縁ともなり、因・縁・果が網の目のように繋がっていくのでしょう。
よく言う例えとして
「花の種をまいたら花が咲く」という事象は
種をまくという行為が因
花が咲くのが果
花が咲くために必要な水や土の栄養や日光を縁
と言ったりします。
では、花が咲くのに「種をまくという行為」、すなわち「努力」が必要かというと、ごくまれには花の種を食べた鳥が飛んできて庭でフンをしたらそこから芽が出た、なんてこともあるわけです。
また、そもそも私が「種をまくという行為」すら思い通りになるわけでもなく、
種を買うお金がある
種がある
種をまくことができる身体がある
種を作った人がいる
種を届けた人がいる
種をまく庭がある
種をまいた時に鳥に食べられない
種をまいた時に突風で飛ばされない
等々
私ができると思っている「努力」、ここでは「因」もまた、数々の「縁」に支えられていることがわかります。
「できる」と思った内容が「できた」という事実は「たまたま」なのです。
それでもやはり、「できる」から「できた」への間にある「やってみる」という実践は望む果への因縁をととのえる上で大きいことではないでしょうか。
ご縁は「調える」もの
ご縁は「調える」ものだと思っています。
「人事を尽くして天命を待つ」と同じ考え方ですね。
自分自身で心・身体・能力・環境をベストコンディションに近づける。
出来ることをやりつくしたら、あとは全ておまかせする。
すると、それにふさわしい結果が向こうからやってくる。
ひたすらこれの繰り返しです。
ご縁を「調える」ことに意識的になると、だんだんと人生が豊かになります。
毎日少しずつ、自分の力で自分のことを幸せにする訓練を積む。
結果を急がず、機が熟すのを待つ。(むしろ忘れるくらいがちょうどいいかも…笑)
望んだ結果が出たら、感謝し謙虚になる。
望まない結果が出ても、感謝し謙虚になる。(長い目で見れば、未来にやってくるもっと大きな幸せの糧になるのです…!)
これが「ご縁」とのおつきあいのコツだと思います。
参考になれば幸いです。
合掌
質問者からのお礼
とても深いお話をありがとうございます。