周りの人達を気にせずに自分を表現するためには
私はもともと、自分が周りからどう思われているか、というのをひどく気にしてしまう人間です。現在、アマチュアで音楽活動(バンドのボーカル、弾き語り)をしているのですが、それをやるにあたって自分の性格が災いしています。趣味でやっていることといえど、音楽活動は少なからず自己主張が必要なことだと感じています。音楽をやっているとどんどん知り合いが増えていき、それは大変嬉しいことなのですが、今まで少人数の人間関係しか持ってこなかった自分にはストレスもあります。田舎の狭い人間関係の中での活動ということもあり、色々なトラブルがあったり、私のことをよく思わない人間もいます。そういった中で、周りの目や評価を気にせず、もっと楽しく活動するにはどうしたら良いでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「諦める」ことです
一般的に諦めるという動詞は、あまり積極的な意味で用いられていません。目標としていた何かが到達不可能だから、「諦めた」という使い方ですね。
しかし、仏教では「諦める」とは「明らかにする」、「真理を究める」という意味で用います。真理を究めるとはものごとのあるがままの姿を見究めるということです。
人間は誰でも、「俺がオレが」という思いを多かれ少なかれ持っているものだと思います。そのなかで私の知る範囲だけの話ですが、音楽が好きで他者の前で演じようとするような人は自己顕示欲が強い人が多いと思います。「オレが一番うまい、オレの歌を聴け」という思いが他者への攻撃的発言になったり、足を引っ張るといった行為としてあらわれることも、多少はあるように思います。
要は、人間なんて「そんなもんだ」と諦めればよいのだと思います。また、自分に対してよく思われたいというのは、あるがままの自分よりよく思われたいということだと思います。あるがままでよいのだ、実力以上のものは出せっこないと「諦めれば」よいのではないでしょうか。
人の価値観に合わせる必要はない
あきこさま
バンド活動楽しそうですね。
趣味をのびのびと楽しくすることは生きる活力につながりますね。
しかし周りの人の気持ち、思いがきになるとのこと。人の価値観はそれぞれ人によって違うものです。良い悪いをつけたらそれぞれに思いを持ちます。
周りの思いが気になるとのことですが、何をするにも、活動が大きくなったり人との付き合いが広がればその分反対意見というものは出てくるものです。しかし、その人の気持ちは、こちらからは想像するにすぎず、本当かどうかは定かではないものです。もちろん人に迷惑をかけてはいけないと思いますが、人の価値観に合わせる必要は全くないですよね。
人の思いを気にして、想像していたら、身動きが取れません。何にも考えなくていいのではないですか。人にどう思われようとあなたの趣味は変わらないでしょう。何にも生活に影響ありません。堂々と趣味を楽しめばいいのです。
アイツが、人目が、あそこが という此処。此処という おのれ。
こんにちは、自称・ホトケ・ギタリストのタンゲです。
アーティスト志望であるのに人からどう思われているかが気になるという、矛盾。OH分かります。
でも大丈夫です。あ、後半部はだんだん歌みたくなりますが、
それはイイとして、
あなたは、まずは、とりあえず、自分をやればイイだけです。
ラーメン屋は人に美味いものを食わせてやろうと思ってラーメン作っていません。自分が自分をやっているだけ。
自分がウマいものを作った「お、うめー」結果、人が評価してくれれば、行列ができる。
全ては自分が、いいと感じるか、思えるものをやれるかどうかなのです。
あとは、それを作る、練る、やるだけ。
アウトプット、ライブ、魅せる事は二の次なのです。
自分が気持ちよければそれが真実。それが最高のアート、作品になる。
そもそも人の眼なんてなんでしょうね。
良く見せたつもりでも そう 思われる。
悪く見せたつもりでも そう 思われる。
どう 思われたかを知ることは誰にもできない。
ことばで評価はあっても、その時限りで永続しない。
それは あなたのこう思われたいという願望があるだけ。
そして 壊されたくない守りたいイメージがあるだけ。
さらには 人から思われている自分が自分であると錯誤しているだけ。
それは あの人こんな風に思っていないかしらという自分の思い。
ぶっちゃけ それは、私の中のあなたであって、あなたではないの。
そして、それは気づいたの、ワタシだったという事を。
あなただと思っていたわ。
私の中のあなたが、あなたであると。
だけどそれは 私の中のあなただったの~♪。
おっと、
人生一生、自分をやるだけです。
あの人が、あそこが、という此処。
此処という自分。