hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きる勇気と死ぬ勇気

回答数回答 3
有り難し有り難し 44

最近中学時代の後輩が自殺したと聞きました。
その前には中学同じクラスだった友人が自殺しています。

そこでふと思ったのですが、死ぬ勇気があるのなら生きる勇気があるのではないのではと思います。
この二つの勇気は違うものなのでしょうか?

また、別な話ですが彼らを救うことができなかった自分をとても悔やんでいます。私が悔やんでも意味がないのですが、二人との思い出を想うたびに涙が出てきます。
死後の世界でも二人は元気でやっているのでしょうか?
元気ならば涙ではなく笑顔を見せてあげたいなと思いました。

いっぺんに二つの質問、そして拙い文章で申し訳ありません。相談に乗ってくださると助かります。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

健やかなる時も病める時も

「死ぬ気になれば何でもできる」なんて言葉もありますが、私も死ぬ勇気というのはすさまじいものだなと思います。私にはとてもできません。

しかしね、「死ぬ勇気があるのなら生きる勇気があるのでは?」と問うのはやはり生を選べる勇気ある者の言葉ですよ。

精神的に健康な人の健康な考えから出る健康な視点で、精神的に不健康な人の選択の是非を問うても本人には伝わらないのではないでしょうか。

普通の考えが普通でない状態の人を苦しめる。

別に、死を選ぶ人が普通でないとか異常だとか差別したいわけではなく、彼らには彼らなりの考えがあってのことなのでしょう、という事です。

言うならば彼ら自身もまた「健康人の意識で病人になって苦しんでいる」(※誰の言葉か出典は忘れました)のではないでしょうか。

今の死を選ぶほどの苦しみは本来健康であるはずの私が不当に受けている状態だ…なぜ?どうして?私だけ?と苦悩そのものを真正面から受け止められず、苦悩せずにすむはずという形で苦悩している。

そうではなく、

病気の時は病人になって病気すればよい

ということなのでしょう、本人としては。
そして私らは自分が健康であるならばやはり病人の気持ちはわからない。それならば私がどう思おうと、彼らが病人であることを認めるしかないのでしょう。

さて、死後についてはわかりませんが、私は浄土真宗ですので極楽浄土ということに思いを馳せずにはいられません。
そこは楽が極まる世界ですから「極楽」なわけですが、それはつまり楽しいとか楽しくないとか、元気か元気じゃないとか、そうした価値分別を超えた穏やかな世界。全てのいのちが還る平等な世界なのでは?と想像します。

なので私はあなたが彼らのために涙することも笑顔を見せることも否定しません。あなたがあなたとして、いつか彼らも還った世界に還るその日まで、あなたのいのちを精一杯全うされることを願います。

南無阿弥陀仏

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

生きていた彼と死んだ彼

私の友人も自死しました。彼は死ぬ直前にレーシック手術を受けていました。まだまだ生きるつもりだったのです。なんで死んじゃったのでしょうね…私はきっと、衝動的だったのだろうと思っています。その時、彼には死ぬのが恐いという感覚があったのかな………死ぬことに勇気が必要だったのかな………そういう問題ではなく、彼の中で他に選択肢が無かったんじゃないかな………

まぁ、心の中のことは本人にしか分かりませんので、今となっては誰にも分かりません。ひょっとしたらその時、本人にも自分の気持ちが分からなかったのかもしれませんし。あるいはもしかしたら、遺された者が生きていくために、分かってはいけない領域かもしれません。何とも言えませんよね。

私の友人は家族との人間関係に行き詰まって自死しました。だからこそ、私たち昔の仲間が集まってやってあげたお葬式や法事をきっと、喜んでくれているんじゃないかなと思います。私たち仲間が生きている間は時々、彼のことを思い出してやりたいですね。なじるでも責めるでも嘆くでもなく、ただあたたかく、やさしく思い出してあげたいものです。それが私と彼の『今の人間関係』なのですから。

そして、同じ道を志した者として、この道を歩み続けることが彼への供養になれば良いなと思います。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

真心込めてご供養なさってください

拝読させて頂きました。ご友人の方と後輩の方を自死にて亡くされてあなたも大変なショックを受けていらっしゃるでしょうし、本当に悲しくやり場のない思いをなさっておられることと想像致します。
私はあなたのご友人の方と後輩の方が必ず仏様のお導きをお受けなさり仏様のもとに生まれ心から安らかになられて、明るく元気になられます様にとお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
必ずお二人とも仏様のもとに生まれ変わり心から安心なさって明るくお健やかになられます。

あなたもどうかお二人が仏様に導かれて仏様のもとにて心から明るく元気になられます様にとお念仏おとなえなさり仏様にお願いなさってくださいね。
南無阿弥陀仏

生きる勇気と死ぬ勇気とはその人の心の中が全く違うと思います。
死ぬ勇気というか意思は生きることの絶望や重い苦しみを受けて精神的に追い込まれたり、日常の意識から掛け離れてしまった状況の時にやむを得ない選択をしなければならない時などに生まれる念かと思います。
誰しもが最初生まれてからすぐに絶望してしまい死にたいとは思わないでしょう。
刹那刹那に死に直面することはあれども、或いは考えてしまうことはありますが、すぐに死を選択することはなかなかないと思います。
生きていくことはたくさんの喜びも幸せもあれば悲しみも苦しみも体感していきます。それを踏まえて苦難を乗り越えていくことが生きる勇気です。
仏教では生きることは苦しみである、と説いております。
苦しみは他から与えられることもありますが、自分自身で作り出していることも事実です。
愛するものとは離れなければならないですし、嫌なものと会わなければならないです。そして思いどおりにはならないですし、求めるものは得られない。
それがこの世の中です。
それでも少しずつでも受け入れて乗り越えていくことや仏様に願い正しく導かれていくことが生きる勇気にもつながります。

お二人の方がお亡くなりになられたことにはおそらく様々な理由や状況や環境があったのではないでしょうか。本当ならば一命を取り留めて頂きたかったとは思います。が、しかしあなたにも周りの人たちにもその生命をつなぐことは大変難しかったのではないでしょうか。

どうかこれからもそのお二人を大切に思い返して真心込めてご供養なさってくださいね。あなたの思いは必ずや届きますからね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

御三方の意見大変励みになりました。今後は亡くなった二人の分精一杯生きていきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ