死んでほしいと言ってしまった
高1息子は中一から不登校。「親のせいだ」「お前たちのせいで人生がくるった」と言います。私はいわゆるアダルトチルドレンです。母はいつも怒り、機嫌わるく、自分勝手。
あんな母親みたいになりたくないと思いながらも、母と同じことをしてしまっていました。だんだん母に似てくるのがとても嫌でした。
通信5日通学制の高校に入学して秋ごろまでは順調でした。
しかしちょくちょく記憶をなくして倒れるようになりました。
スキー合宿で北海道に行った時もマイナス十数度のところをたった2枚で宿舎を抜け出し現地の方に保護してもらいました。その時の記憶がないそうです。おいておけないということで返されました。
そのとき「人身事故で死ぬから」とツイッターで発信したことがバレて退学になりました。それまでもいろいろあったのですが、退学はかなり私がショックでした。もう限界になりました。そんな時友達から「最近どう?」とメールをもらい、返事に「家族全員うつだよ。○○が死んでくれたら楽になるのに・・」と返事をしてしまいました。
思考能力もなくなり、ボーっとしていて携帯おいてでてしまいました。それを息子が読んでしまいました。もう何をどういっても終わりです。もちろんですが本気でそんなこと思ってないです。友達に苦しい、つらい、助けて、深刻なんだと伝えたい思いからこんな言葉出してしまいました。息子を愛してます。どうしたらわかりあえますか?
私はどうしたらいいですか?なんという言葉をかければいいですか?
助けてください。もう苦しくてたまりません。とりかえしつかないことしてしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自立、謝罪、寛容
3つのキーワードで、私が感じたことをお伝えします。
1.我が子からの自立のすすめ
母が子から自立していくのですから、文字通り子を突き放せということで受け取っていただいても構いません。(子の自立は、子に任せましょう。まずは母が自立します。)
しかし、もうひとつ「自立」には意味があります。真にその人が(私も)自立していくということは、互いの関係を切り離したり距離を置くことではありません。互いに関係性を認め、その存在を信頼しあっていくということでもあります。
あなたは我が子を認め、信頼していますか。
いまの子どもの姿をきちんと見つめていますか。
ところで、気になる記述がありました。「記憶をなくして倒れる」ということから、適切な原因の究明(医療機関の受診やカウンセリング、専門家の助言)はされていますか。
ご本人がそのような関わりを拒否されるのであれば、そこで逃げないで下さい。そこは体を張って、「母はあなたを信頼している。全面的に認めている」ことを粘り強い行動をもって示してください。もしも心理的、精神的に適切なケアやサポートが必要とされているのなら、家族の中だけで解決しようとすると、かえって互いの自立を阻んでしまうかもしれません。
2.ただ謝罪。言い訳なし。
悩みのあまり思いがけず友人に愚痴った「死んでほしい」という言葉を子どもに知られてしまったことについて、これはもう、ただ謝罪です。
謝罪の目的は、
・言葉そのものを撤回する/・母自らが自己の弱さを認める/・許しを請わない
世に放たれた言葉は、消えません。自己の行いは取り消せません。ただ、向き合い、受け止め、乗り越えていくしかありません。
3.寛容であること
我が子に寛容であるとお感じになりますか。すべてでないと感じたら、どの辺りは寛容に、逆にどの辺りは許せない(不寛容)ですか。
上記2つのキーワードにも関わりますが、寛容と不寛容の間違い、取り違えがないか。
・不登校、中退について・・・学校へ通わないことを認めるところから。不登校が罪という気持ちがどこかにあれば、子は追い詰められます。
・親への暴言をどう捉えるか・・・受け止めているか、聞き流しているだけなのか。本当に受け止めているのなら、暴言にきちんと怒るべきです。
・不寛容と書きましたが、踏みとどまる、踏ん張りどころを妥協しないことです。