事故加害者への憎しみの抑え方
横断歩道を歩行中に、後ろから自転車で追突されました。
加害者は同じ年の女性で、後ろに小学2年の子供を乗せていました。
わたしは喘息で長年ステロイドを使用していたため、とても怪我のしやすい体質で、その事故で右脚を皮膚移植しました。
事故状況は加害者に100%過失があるにも関わらず、示談交渉では
「普通の人ならこんな怪我にはならない」という理由で、僅かながらの慰謝料で示談成立しました。
スカートすら履けない。結婚もしていない。
日に日に加害者への憎悪が消えません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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憎悪を消す方法
なぎささん、こんにちは。
相手からの事故での後遺症の辛さに同悲いたします。相手にきっかけがあることですから、憎悪も当然だと思います。
当然だと思いながらも現状を受け入れざるおえないとなると、相手を恨んでもまったく解決にはなりません。辛くとも恨みは横においておいて、幸せになるために生活を前に進めるしかないでしょう。そのようなアドバイスしかできません。病気・障碍を直接治すことができない私は非力です。
しかし、さらに湧き上がる憎悪を消して本当の幸せに生きたいと願うならば、厳しいですが、仏さまの信仰を学び仏様の精神の生き方をするという道があります。それをお伝えします。
仏教では、すべての出来事は自分との縁で起こるという「縁起」の教えを学びます。出てきた現象は、自分と触れ合う相手の関係で決まるという考え方です。そして相手の縁は変えることができないので、自分の縁を良縁にして良い結果を導くという積極的な善行の生き方を進めます。
観音様の教えはそれを更に深めて、良い縁ばかりではなく悪い縁も実は観音様の変化のお姿なので、この相手の縁をどう受け止めれば観音様のお慈悲として受け止めて悪縁を良縁にしていくかを考えます。触れ合う縁を通して仏様は何を私に教えたいのかとご縁の意味、人生の生きる意味をポジティブに見い出す生き方です。
私の物書きの仕事の師は、右手だけが少し動く五体不満足の障碍者で自身の生まれの不幸を呪っていた方でしたが、その右手だけが動けることに生きる意味・価値を見出し、晩年は、物書きの仕事師として大成した人でした。「もし五体満足で生まれたらこんな能力は持てなかっただろう。だから私はこの不自由な体に感謝する。みんなこの世に産まれたからには、必ず仏様からもらった「生き役」がある。人生はそれを探す旅なのだ」と、いつも教えてもらっていました。
なぎささんが、もしこのハスノハを通して仏様の教えで少しでも自分の人生の意味を見出し幸せになったら、それは今回の事故がご縁でもあります。そのように受け止めることができるようになるには、もっと喜びの人生を目指す力を身につけなければなりません。
そのためには毎日仏壇前で読経し、お寺でご住職から仏さまの教えを学ぶ。そこから少しずつ自分の心を向上させるしかないと思っています。すると憎悪をいつしか消えてしまいます。合掌
あなたならできる
示談成立したということは、もう互いに同意の上で終わらせたということです。
そこから先は、相手の問題ではなく、自分の煩悩との戦いの問題ですね。
あなたもそれがわかっているから、相手への憎しみを抑えるべきだと考えることができているのです。
いつまでも相手のせいにしかできない人も世の中にはいますが、あなたはそうではないのです。
つまり、あなたはもう、悟り向かう道に一歩踏み出しているのです。
あなたは、相手が悪いんだ、という憎しみの思考しかできない狭い世界には囚われていないわけです。
憎しみから解放された広い世界を見る力を持っているあなたなのです。
私は、あなたを応援します。
大丈夫、きっと憎しみから救われるときが来ます。
質問者からのお礼
和尚様
有り難いお言葉、痛み入ります。
一生、人を恨んだり憎悪の感情を抱いて生きていくのは本意ではありません。
これまでも病気で生死の端を歩んで来たので、助けてくださったお医者さまのお力や、それでも生きていられるのは何かしら意味があるから生かされているようにも思います。
前向きに、と誰もが私に言ってくださいますが、他人事だから言える言葉だと、捻くれた感情もどこかに在ります。
世の中には私より辛い毎日を過ごしていらっしゃる方もたくさんいますので、私など贅沢な悩みなんだろうとも感じます。
ただ、この悔しさや憎しみの感情を納める隙が、私の心の箱にはなく、ただただ遣り場のない感情と向き合い、行き着く先は消えてなくなりたいという感情に繋がります。
悪縁を良縁に変えることなど、私に出来るのかとも思いますが、全ては私の心の置き方次第なのですね。憎しみで押し潰されそうになった時は、和尚様のお言葉を繰り返し拝読いたします。
「あなたならできる」というお言葉に涙が出ました。
涙が出るということは、私自身も加害者に対して許したいという想いもあるのかも知れません。
憎しみや恨みを抱えたまま生きていくには、未来を想像しても何も幸福は得られないということも頭では理解しているつもりです。
今、「憎い、悔しい、全てあの人が悪い」という想いと「この負の感情を和らげたい」という想いが背中合わせでせめぎ合っております。
憎しみの想いから許しの想いへの変換が出来るための切っ掛けが欲しいだけなのかも知れません。
和尚様の有難いお言葉、痛み入ります。