万引き犯に間違えられてるのではないか
こんばんは。
とあるコンビニを利用しました。会計の列待ちしてる時にエコバッグを持ってきたかと考えて、自分のリュックを前に持ってきて右手でリュック内をガサガサあさってしまいました。
左手には、商品が入ったカゴを持っていました。
エコバックを探してる途中でレジに呼ばれました。お会計はきちんと支払いレシートもあります。
会計前の商品を自分のカバンにはしまってしませんが、万引きと疑われるような怪しい行動だったと思います。
心配になって帰宅後にリュックの中を見ましたが、コンビニの商品は入っていません。
以前からこのような強迫障害に悩んでいますが、ここのところ酷くなっています。
その場では焦ってすぐに行動してしまい、後になってものすごく後悔してしまいます。
どうしたらよいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
確認を重ねている。心配の全ては、起こることはありませんよ。
私も、あなたと同じようなことをしちゃう時があるわ。
先に買い物をしながら品物を持ち、そろそろお会計で(財布を出さなきゃ。エコバックを出さなきゃ)とカバンの中をゴソゴソと。
でも、その都度ちゃんと確認をしたり、説明できる私であれば大丈夫◎
誤解されてしまうかもと考えていくと、様々なことでそのようにも見えてしまうことって、結構あるかもしれませんね。
だからこそ、確認を重ねていきましょう。
あなたは日頃、そのようになさっているでしょうから、気にはなるでしょうけれども、「大丈夫」を重ねているのです。
ですから、心配の全ては、起こることはありませんよ。
心配には賞味期限がある
脳ミソが心配や不安の成分を分泌しているだけだと思いましょう。
たとえば、人一倍汗っかきの人や、花粉症の人みたいな感じだと思ってはどうでしょうか。
花粉に反応して人一倍鼻水が出る人もいれば、不安に対して人一倍脳・神経が反応する人もいる。
いずれにせよ、心配には賞味期限があると思うようにしましょう。
たとえば今回の件では、お店を出ても店員さんが追いかけて来なかった時点でセーフです。
不安の賞味期限をあなたが数字ではっきり決めるようにしてみてはどうでしょうか。
仏教では、心は無常(瞬間ごとに浮かんでは消えて、変化し続ける)と考えます。
不安も喜怒哀楽も、瞬間ごとに生滅しており、実は、不安と不安の間にはすき間(不安を忘れている休憩時間)があります。
たとえば、1時間ずっと心配していたと錯覚している場合でも、実はその1時間の中にも、心配を中断して別の作業に意識がスイッチしている時が無数にあります。
心は無常である、不安には賞味期限も休憩時間もあると覚えておいてくださいね。
まぁ、私も「鍵をかけたかな?」とか不安になることはありますので偉そうには言えませんが。