回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
受からなくてもいいんだという選択も持つ
あなたの心や体調不良は、自分の決め事があるからです。
人間は、恐ろしいほどに自分ルールを作ります。
これをおちたらおわりだ、もうだめだ、と自分に縛られるのです。
まずは「落ちてもいいや、精一杯やろう」と口にしてみてください。
脳がモードチェンジするまで、言ってみてください。
あなたは、何としても受からなければいけない、自分の自由を奪われたようなある種、無我であると感じているかもしれません。
仏教の無我、無私は、そうではありません。
それも自分のマイルールですから、それも取り外すことで、重荷が取れて百パーセントの力を発揮できるのです。
「そうか、受からなくてもいいのか!死ぬわけではない」と思ってみましょう。
あなたの人生です。
試験と言うのは、インプット能力とアウトプット能力が試されているだけです。
あまり、脳をワタクシ情報を取り込まないようにしましょう。
無私、無我であれば、脳は、勉強すべきことだけをそのままストレートに覚えます。
「自分」「こうでなければいけない自分」に 力 が入りすぎていませんか?
武術も書も演奏も修行も力を抜くことにこそ神髄があるのです。
これはあなたの力を抜く為のお話でした。
力が抜ければ、見たもの、聞いたもの、学んだものはストレートに入ってきますよ。
落っこちたら、また来てください。
落っこちなくても、またお待ちしています。
質問者からのお礼
ありがとうございます(^^)
そうです。その通りです。(;゜∀゜)
力を抜きます。
ある日の自分は
勉強をすることがとても楽しかったんです。
しばらく無我になりたい
試験問題して見たのです。
そうしたら気がつきました。
肩の力を抜いていたら見えていない部分
(まだまだある)が見えてこようとしています。
以前の悩みに答えて下さってありがとうございます。
耳鳴りがお陰様で良くなって まいりました。