生きている価値がないと思う
自分は生きている価値がないと思います。
親にお金をかけてもらい、それなりにいい大学を出してもらいましたが、うまくなじむことができず体をこわしました。
卒業はしましたが、就活に失敗しました。
ずっと小さい時から人とうまくやれませんでした。
勉強はできたけど、どんくさくてバイトをしてもうまくできません。
仕事もできないし、人間関係もだめです。
あんまりとろいのでバイトをすれば邪魔にされるし(賃金分働けていないと思う)、体があまり丈夫でなく、体力もないのですぐにふらふらになります。
友だちもいません。
親が死んでくれるなというので生きているだけです。
けど、このまま生きていると親の老後のたくわえを食い潰すことになるので、もう死んだほうがいいのじゃないかと思います。
なにより嫌なのは、自分は思いやりのない自己中な人間だということです。
なにかしてもらっても、感謝するということがありません。
頭では思うし、口先ではそういうものの、気持ちは動きません。
そのくせ嫉妬や劣等感だけは一人前で、だからダメなのだなと思います。
楽しいと思うことや、うれしいと思うことも、ほぼありません。
本や漫画、映画やテレビのなかに逃避しているときだけ、かろうじて楽な気持ちになります。
すでに死んだように生きていて、明日寿命が来ればいいというのだけが望みです。
親は必死に、わたしを励まそう、前を向かせようとして、文字通り身も細るほどがんばってくれているのですが、何をしているのを見ても気持ちが動きません。
クズだなあと心底思います。
けど、そういう自分をどう変えたらいいのかさっぱりわかりません。
なので結論として、お金のために、死んだほうがいいと思うのです。
どのみち、金銭的に寿命まで生きられそうにないし、親を道連れにして路頭に迷わせるくらいなら、まだ金銭的余裕のある2、3年のうちに死ぬのがいいのじゃないかと思えてならないのです。
自分でも、このまま死ぬのではあまりに生まれてきた意味がないなとは思っていて、けど、どうしたらいいのかわからなくて。
こうすれば人格を変えられるよ!とか、
感謝の気持ちがわいてくるよ!とか、
生きるってこういうことなんだよ!とか、
なんでもいいのでアドバイスがありましたらお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
起承転結 転の前
こんにちは。何だかドラマチックな人生だなぁと感じました。未完の物語。起承転結の中で、第2章の終わり、「このままじゃ、私ダメ…どうしたらいいの!」と、ちょうどハラハラしていく所ですかね。
でもそれ、きっと順当に人生を歩んでいるんだと思いますよ。
現代は、お陰様でソコソコ暮らしやすい社会。勿論貧困とかいろんな問題はあるけれど、あなたには親もいることだし、「取り敢えず生きていく」ことはできる世の中です。
しかし、それゆえ「世の中は基本、思い通りにならない」とか「苦しみは生きていることに根ざしている」とかに、なかなか気づかない・認めることができなくなっていると思います。仏教ではそれが第一原則なのに。
そこにあなたは気づいたのではないかしら。それはきっと、新しい「転」の章への伏線なのだと思いますよ。ご両親のもとで生まれ、その価値観の中で育ち、基本それを引きずって生きてきたけれど、「このままじゃ何かがダメ!」に気づいた。20代で気づいたなら幸せです。気づくのが30代の人も、40代の人もいるのです。あなたと同じように「自己中で、感謝できず、嫉妬ばかり。リア充羨ましい」と思っている自分を発見するのが。これは渦中にいる間は、なかなか分からないことです。
しかし、人間は年老いていく間に、きっと必ずこの問いを通らなければならないのだろうと思います。そこが、願誉浄史さんの仰る「シフト」です。
さて、ダラダラしてしまってごめんなさい。アドバイスです。
まずは、「こうすれば…!」という、一言で済むアドバイスを求める発想自体を、諦めた方がいいです。第3章が、結論だけでストーリーがない。また、著者があなたではなくなります。
ですので、「これかな?と思うものがあったら、がむしゃらにやってごらんなさい」が、アドバイスですがこれは抽象的ですね。
「感謝の気持ちがわいてくる」は、「感謝の言葉を言う」ことによります。「小さなことに、小さな感謝表明」でも、一ポイントつきます。一日何回「ありがとう」を言ったか、手帳につけてみてはどうですか?コンビニ・ファミレス・バス運転手あたりが狙い目です。そして「気持ちは後回し」、これがコツです。
いいですか。「今までと同じ」ことをしていたら、新しい章に入れません。敢えて自分の今までの行動パターンと違うことをする。もう第2章は終わるのです。
好きな漫画はなんですか?
生きている価値は、誰にでも等しくあります。
今は理解できなくても、または他人に理解されなくても、
あるものはあります。
その点においては、心配しなくても大丈夫です。
生きていること、楽しくないですか…。
でも、「このまま死ぬのでは、生まれてきた意味がない」と
いう部分に、前向きで、この悩みから脱したいという
想いが乗っていますよね。
好きな漫画は、なんですか?
好きな映画は、なんですか?
その作品の、どこが好きですか?
その世界の中にいるとき、どの部分に共感をおぼえますか?
私も若い頃、人生ってそんなに楽しくないなあ、
と思ってしまったこともありますが、
それでも、
「来週のドラゴンボールはどうなるのかなあ」
「来週のグラップラー刃牙はどうなるのかなあ」
と予想したり、
それすら楽しみでない週は、昔の漫画を持ってきて、
「この世に生を受けて、貴様のような奴らになめられっぱなしじゃ、
生きてる甲斐がねえんだよ!」(『キン肉マン』 23巻)
という、テリーマンの言葉を読み返して、
心震わせたりしたものです。
これはいまだに、私の座右の銘です。
そのうちに、気付いてきます。
漫画を読むことができるのも、映画を観ることができるのも、
生きているからだということに。
この作品と出会わせてくれた、作者に。
集英社と、秋田書店に。
この世に自分を生み出してくれた、両親に。ご先祖に。
さらに、感動を受けたことを、まわりの人に話しているうちに、
きっと友達が増えてきます。
そして、感動を受けた部分を反芻しているうちに、
自然と、自分のやりたいことが湧き上がってきます。
「俺の生きてる甲斐って、なんだろう?」
私の場合も、映画や本、特に少年漫画から得た活力は、
非常に大きなものです。
少年漫画で学んだことから、自分のやりたい事や、
他の人への感謝や、思いやり(『キン肉マン』では「友情」という言葉で表されます)、
そして「生きてる甲斐」を取り入れました。
まずは自分が、何に感動する人間なのか。
どんな部分のことが好きなのか。
などを知ることから始まると思います。
そうすれば、自分のやりたいことが、見えてくるのではないでしょうか。
年代も性別も違うもち村さまに、『キン肉マン』の話をしてしまい、申し訳ありませんでした。
でも、興味があったら、読んでみてください(笑)
念仏のための人生にシフト
浄土宗の教えでは、人生の最大の目的は「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえることです。
念仏をとなえられていれば、その人の人生は合格、オッケーなのだと考えてよいのです。
お金のこととか仕事のこととかは世間では大事ですが、そんなものはたいした価値はありません。
今・ここで、念仏できることが重要です。
念仏していれば、臨終には極楽浄土へ往けるし、生きている間は念仏の修行の功徳がたまるしで、
生きても死んでもどっちにしても良いことがあるので、生死ともに問題なしなのです。
そう思えたら、人生が明るくなります。