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自死した妻に申し訳なく私も自死したい。

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 何度も申し訳ありません。もう直ぐ妻の四十九日を迎えますが、気持ちが落ちつくどころか妻の後を追い自死したい願望が非常に強くなりました。

 何処へ行くにも何時も妻と一緒だったので、その時その時の光景を思い出してしまい大ぜいお客さんがいるお店でも涙を流しそうになってしまいます。
 今、改めて私が妻を心から愛していたことと、本当に家の事は妻に頼りっきりであったことを痛切に感じてます。ですから、尚更辛く生きる希望もありません。

 できることなら四十九日を無事に済ませ納骨をし、自死したいくらいです。ただ、私にはワンちゃんが2匹(妻が可愛がっていた)いることと、相続の問題があるので自死を躊躇っています。

 質問は、私が自死をした場合、先に自死をした妻に再会できますか?今までのお言葉では、自死者も必ず成仏をするとのことでしたが、もしそうであるとすると私が自死をしても成仏をし、妻に再会できると考えても良いということでしょうか? 

 良い歳してつまらない質問かもしれませんが、私にとっては、大変重大な問題なのです。あの世で再び妻と再会をし、また夫婦になりたいのです。

 本当は、この様な質問をする事が怖いのです。自分の意志や今までの御答えと間逆な御答えがあった場合、どの様にすれば良いのか混乱してしまいそうだからです。現在、病院に通っていますが、どうしても前向きな考えができません・・・どうかお教え下さい。

 


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生き抜いてください。お願いします。

切々たるあなたの心情が、愚僧の心の中に沁み渡って参りました。実は、今回こうして回答させていただく機会を得ましたのは、愚僧ではございません。ある方から、強い懇願がございまして、回答させていただく次第です。あなたの想いが、赤の他人かも、しれませんが、その方の心を揺れ動かして、回答せよとの懇願になって愚僧に届いたのです。あなたは決して1人ではない、どうか生きて欲しい、生き抜いて欲しいと、真摯に祈るお方がいるんですよ。あなたが万が一自死するようなことがあればその方の哀しみは、喩えようもないものになってしまいます。あなたは生きぬくのです。生き抜いて生き抜いて、奥様の菩提をともらってください。それがあなたの使命ですよ。そして、ワンちゃん達、できれば天寿を全うするまで、面倒をみてあげることはできませんか?愚僧にはそれが奥様の意思のように思えてなりません。計らずも自ら往生された奥様。でもしかし、あなたには生き抜いて欲しい。その想いが、ある方に通じて、その方から愚僧に生き抜けよ!との強いメッセージを発するように届けられた。気のせいと片付けるのは簡単です。でも、あなたが知らない第三者で、あなたから届けられる、悲痛なご相談に深く心配されて、何とならないか?何とか生きて欲しい!と思っている方がいるんですよ。だから愚僧がこうして回答させていただいている。あなたは生きるんです。極楽浄土はあります。阿弥陀さまが作られた世界だから、信じるものは必ずいけます。浄土で会えることでしょう。でも今ではない。決して今ではない。あなたが生を全うして、阿弥陀さまからのお迎えが来た時に、極楽浄土で清々しい気持ちで、再会してください。心配されているのは、うちの檀信徒さんです。ハスノハをよく覗かれているようで、あなたのことをとても心配されています。どうか生きてほしい!と祈るような気持ちで、愚僧に相談されてきたのです。赤の他人には間違いありません。しかし袖すりあうも他生の縁といいます。この方は間違いなくあなたのことを真剣に見ていて、祈られていますよ。生きて欲しい!できれば再起を果たして幸せになって欲しい。私はこの方から促されて、回答した次第でしす。再追 その通りです。その方も間違いなく読んでますから、あたなからのお返事を読んでこの方もホッとしたと思います。御礼申し上げます。よくぞお気付きくださいました。感謝感謝

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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出会いのかたち~「人と人」「人と仏」「仏と仏」

これまで共に過ごしてこられたパートナーのご命終を49日という期間で受け入れるのも酷なことでしょう…少しづつこの大きな事実を考え、見つめ直し、受け入れていく。
そうするならば「今・ここ」の今生において私たちは亡き人と出会い直していくことができる、そのように感じております。

さて、私たちは自らがその命終える時、先に逝った故人と再び出会えるのか、大変気がかりなところです。
我々浄土真宗門徒におきましては、命の終わりというものは「さようなら」のお別れではなく、「またね」の約束であると言われます。
それは『仏説阿弥陀経』に「倶会一処(くえいっしょ)」と説かれることにも象徴されますが、「倶会一処」とは、「倶(とも)に一つの処(ところ)で会う」という意であり、南無阿弥陀仏とお称えし、阿弥陀様の願いを疑いなく聞くものは皆ともに同じお浄土で再び会わせていただくという教えです。
阿弥陀さまはこの私を必ず浄土に往生させ、成仏させると願い誓われたのです。

つまりお浄土での再会は「仏と仏」としての出会いです。
仏と申しますと私たちはお仏像様のようなお姿を想像しますが、あのお姿は仮に形となってあらわれてくださったお姿であり、その本来のお姿(はたらき)について浄土真宗の宗祖親鸞聖人は「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。」とお説きくださっています。

つまり、私たちが願い想像するような「人と人」としての出会い、言うならば生身のあたたかさを感じ、触れ合い、言葉を交わし合うような出会いではなく、それは全てのいのちが共に平等に還っていく根源的な存在としての出会いなのではないでしょうか。
私としてはそれは言葉では表現できないような想像も及ばないような世界ではないかと想像するところであります。

もし私たちが願うような形での再会を望むのであれば、むしろ私はこの世において「人と仏」として故人に出会い直していく必要があるのではないかと感じます。
それは亡き人の「心に触れる」という出会いです。亡き人を大事にするとは「亡き人が大事にしていた事を大事にする」ということです。
その時私たちは亡き人の心に触れ、言葉を聞き、仏として自在にはたらいてくださる大切な人に出会い直したことを感じるのです。
奥様が大切にされた事をテツヤ様がこれからも大切にされる事を願います。 合掌

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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必ず再会します。再度拝読させて頂きました。

拝読させて頂きました。あなたのお悲しみやつらいお気持ち何より奥様への深い愛情を読ませて頂きました。あなたがそう思うのももっともでしょう。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
奥様はこの世を離れ49日必ずや仏様のもとに生まれ変わり心からご安心なさることでしょう。
49日忌の法要を真心こめて仏様にお願いなさりご供養なさってくださいね。
私も心を込めてお念仏おとなえさせて頂いて奥様の極楽浄土往生を願っております。
南無阿弥陀仏

ご質問の件ですがもしもあなたがその生命をまっとうなさったならば必ずや仏様のお導きをお受けなさり仏様のもとに生まれて奥様に再会なさるでしょう。
あなたもこれからの人生に於いてどうか仏様のお導きを受け奥様と再会なさるようにと仏様に願いお念仏おとなえなさってください。
南無阿弥陀仏

これからまだまだやらなければならないこともあると思います。その中で生きることが嫌になり早く奥様のもとに行きたいと思われるでしょう。それでもまず今己のやるべきことを無理ない範囲でお勤めなさってください。それが今あなたの生きる糧にもなって参ります。

奥様はあなたが今様々苦悩なさる中で一生懸命にお勤めなさっておられることを心から労り思っておられることでしょう。そしてあなたをいつもいつもお見守りなさっておられます。あなたと奥様とのご縁は決して切れることはなくこれからも永遠に続いて参ります。

あなたがもしその思いをお話しなさり時にはいつでもここでお話しなさってくだだいね。私たちはいつでもお待ちしております。
またあなたがその赤裸々な気持ちを直接お話しなさりたい場合には毎月第四木曜日に築地本願寺様で開かれます自死遺族の分かち合いである「いのちの集い」にいらしてくださいね。
あなたのお話をゆっくりと拝聴させて頂きたいと存じます。

あなたがこれからも心の中で奥様と共にあり心から奥様をご供養なさり、そして毎日を奥様に見守られながら健やかにお過ごし頂きます様にと仏様にお祈りさせて頂きます。

再度拝読させて頂きました。明日の午前10時からの築地本願寺様でのいのちの集いに私も参加させて頂きます。宜しければどうかご参加頂きお話を聞かせてくださいね。あなたの思いを共にさせて頂きたいと思います。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

法覚寺様ご回答ありがとうございます。そして一向寺様いつも必ずご回答を頂き誠にありがとうございます。今、私は寂しさ、悲しさと怒りで心がはち切れそうです。どうにもなりません。この1月31日までは本当に幸せな夫婦だったと思います。それが僅か5日間で全てが終わってしまったのです。

私は、実母にも前妻との確執で自死されています。前妻を憎み離婚しました。今度は、義理の息子が逮捕された事に悩んだ妻が「死にたい。」と言った事から私がそれを咎めてしまい、その結果おそらく鬱病を再発させていたため自死の道を選んでしまいました。こんなことって通常なかなか有り得ないのではないでしょうか?私を産んだ母が自死、最愛の妻も自死・・・ 生きる希望を持つどころか、私が前世で余程酷い事をしたので神様仏様が私に「自死をするか、このまま苦しんで死ね。」とこの様な意地悪をするのだとしか思えません。ただ、妻が可愛がっていたワンちゃんがいるので、里親が見つかったら自死を選ぶかもしれません。   明日築地本願寺の自死遺族の会に参加できるようでしたら参加者の実情とか現状をお伺いし現在の胸中を伺いたいと思っています。
 ご回答ありがとうございました。

浄光寺様心暖まるご回答ありがとうございます。只今、築地本願寺で執り行われた「いのちの集い」に出席をさせて頂き帰宅した次第です。
 少々お教え頂きたいのですが、第三者とはどの様な意味でしょうか?できれば判り易く説明を頂ければと思います。
 『生きろ』という強い励ましのお言葉本当にありがとうございます。ただ、今の私には生きる希望がありませんので、『生きろ』と励まされても『生きる』自身はありません。不味い事に私も鬱病を患ってしまい投薬治療を受けているところです。
 夜になりますと「母親が自死。次は、妻が自死か・・・もう無理だ。もう無理だ。」と生きる気力を無くしているのです。
次回の「いのちの集い。」にはもう一度出席させて頂きます。今日も大変苦労をしている方ばかりで、よくぞ耐えられていると思います。次回は、また、別の方のお話が聞けると思いますので、是非出席させて頂くつもりです。ありがとうございました。

浄光寺様ご回答ありがとうございます。浄光寺様に直接壇信徒様がお話をし、浄光寺様をお動かしになったと解釈させて頂きます。壇信徒様本当にありがとうございます。この様な事があるのですね。今、私は感動をしております。このメールを打ちながら涙を流しながら打っており、もしかしたら間違って打ってしまうかもしれません。
 浄光様寺、壇信徒様 少し勇気を頂きました。ほぼ引きこもり状態でしたが、明日から先ずワンちゃんの散歩を再開します。今の自分に何ができるか判りませんが、先ずは明後日の妻の四十九日法要をしっかりと執り行います。
 その後、私は自死遺族の会があれば積極的に出席をさせて頂き、何かの役に立ちたいと思います。私は自死者は、母以外に妻もですからこれほど最悪な人生を送っている者はそれ程いないと思いますので。先ずは自身の鬱状態から脱するように努力します。本当は、壇信徒様にできれば直接お会いしお礼を言わせて頂きたいのですが、こちらのサイトは出来ないようですので非常に残念です。心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

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