亡くなっても、そばにいると思いたいのに

今日は主人の命日です。

1年なんてあっという間で、時間も流れているはずなのに、まだまだ昨日のことのように思えますね。

でもこの1年間は、たくさんの人に支えられて、子供たちも元気に過ごせて、主人のいない寂しさは今もあるけれど、小さな幸せをたくさん感じた1年でした。

はすのはで、1ヶ月おきには質問させていただきながら、悲しみを受け止め吐き出し、私の凝り固まった思い込みをいろんな考え方方向から真っ直ぐな回答をしてくださり、私の苦しみから何度も救ってくださいました。本当にありがとうございました。

ですが、やはり時折この先子供たちの為に本当にひとりで生きていけるのか、とても不安になります。主人が見守っていてくれると素直に思えるときと、やっぱりどこにもいないのではないかと考えてしまう不安があります。

いろいろなパターンを考えてみました。
①主人は海外出張中でしばらく帰らない。
②主人は亡くなったから全くどこにもいない。
③主人は亡くなったけれども、いつもそばに必ずいる。

最初は①がしっくりしてました。もともと仕事が忙しかったのでいない日が多かったのです。ですが、度重なる来客や49日の法要や、毎日仏壇に手を合わせるという意志とは反対の行為がなかなか受け居られず、①はできなくなりました。
それから②と③は、いつも揺れ動きます。私の中に二人いて、②に思い始めると③ではないか、③に思い始めると②ではないか。。なかなか難しいですね。

何度も同じような質問で、申し訳ありません。
たぶん、私の性格が合理的なのでしょう。
でも、たぶん③で思いたいのに②何じゃないかという不安にかられるんだとおもいます。素直に③と思うにはどうしたらいいのですか?

身近な人の死
有り難し 17
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

仏様の「はたらき」

ゆこ様こんにちは。
ご主人のご命日とのこと、謹んで哀悼の誠を捧げ、お念仏申し上げます。
南無阿弥陀仏 合掌

さて、お尋ねの件につきましては、私も何度かご縁をいただいていますが、基本的には以前の問答を繰り返しお読みいただいて味わい、生活の中で実感していただくことだと思います。たくさんのお坊様がそれぞれの視点からご回答をくださっております。

なので私も言いたいことは以前と変わらないのですが、合理的とのことですので、今日はなるべくわかりやすく(少しドライな感じになってしまいますが)お伝えしてみたいと思います。

私としては

②主人は亡くなったから全くどこにもいない。
③主人は亡くなったけれども、いつもそばに必ずいる。

この二つは両方ともおっしゃる通りだと思います。

つまり、お亡くなりになったので「人としてのご主人」は②の通りですが、「仏様となったご主人」は③の通りそばにいるということ。しかし仏というのは「はたらき」ですので「はたらきを感じられない時」は不安になってしまう…そのような状態かとお察しします。

「はたらき」とは何かですが、「効果・作用」のようなイメージでしょうか。物事には「名称」「使用方法」「はたらき」があります。

例えば、「うちわ」というものは

名称:うちわ
使用方法:手で持って扇ぐ
はたらき:風を起こし涼むことができる

こうですし、「マイク」というものは

名称:マイク
使用方法・仕組み:音(空気振動)をひろい受け止め、電気信号に変換する
はたらき:スピーカーにつなぐと音を大きく出せる

というように。

そして、では「仏」「仏様」というと

名称:仏
使用方法:(宗派によりますがここでは)信じて手を合わせる(とでもしておきましょう)
はたらき:①真実を私たちに伝える ②ありのままの事実を私に伝えてくれる ③どんな事実が見えようとそのことで私を除け者にはしないという救いを与えてくれる …等

です。
そして「仏」の「はたらき」とは「私が使った時だけのもの」ではなく「常に」はたらいています。わからなくて不安になるのは「はらいていない」のではなく「私がはたらきを感じていない」のです。
つまり、ご主人は仏様として確かに③のようにはたらいていらっしゃるということです。折に触れて仏様としてのご主人に遇わせていただきましょう。その瞬間が必ずあります。

7ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

吉武様。

読み返せば、何度も何度も同じ様な質問をしている、なかなか前に進められない私に、丁寧にお返事を書いていただき、また、見捨てず何度も、こんなにもわかりやすくお話しくださり、本当にありがとうございます。

私が本当に不安なこととは何か、その理由さえもほんとはわからなかったのに、吉武様は優しく説き解すように教えてくれました。

パパは姿形は居なくなってしまったけれど、その瞬間に仏様と姿を変えて、私たちの傍で見守ってくれている。今は素直に思えます。
この1年間は、大変なこともたくさんありましたが、ひとりでも重大な決断を迷わずできたことや、たくさんの人に支えてもらいながら、乗り越えて行けたこと、そして、怪我や病気しないで3人穏やかに楽しく暮らせたこと。その一つ一つにパパのはたらきを感じていました。
これからも不安になることがあるかもしれませんが、そのはたらきを信じて、乗り越えていきたいです。
吉武様、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。

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