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早く終わりたくて仕方がありません

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有り難し有り難し 26

場違いな相談というか独り言になってしまいますがもう終わりたいんだけども終われない苦しい胸の内です。

実は以前もここで相談させて頂いて前向きになれたことがあったのですが
やはり駄目な奴は駄目なようです。
今現在の私は
生きたい気持ちもあるのですが様々な事柄や自分の甲斐性の無さが邪魔をして生きるという前向きな気持ちが皆無となって
自殺はできないので今すぐにでも人生が終わってもらいたいという思いだけになっています。
「終わらせる」のではなく「終わる」ことが望みです。しかもできることなら今すぐにでもです。
自殺ももちろん考えもしましたが自分から進んで終わらせるという勇気はありません。
(敢えて勇気と言いましたが私にとっては勇気です。)
それは今生きているからこそ思ってしまう私が自殺の実行をした後の事(自分の事)、心配してしまう事(家族や関わっている人たち)があるためなのですが
しかし今すぐ自分の意志に関係なく人生が終わるなら心残りはあるものの「やっと終われる」という安堵感を感じることは容易に想像がつき
人生の終わりをすんなりと受け入れることができます。

もう八方ふさがりでどうにもならない状態にまでなってしまっていて、とにかく今すぐにでも終わりたい
矛盾していますが自分でスイッチを押さなくて済む終われる方法があれば教えて欲しい
別の言い方をすれば
この先寿命まで苦しい20年があるならその20年を数秒で終わるように早送りしてほしい
随分とわがままな言い分だと思いますがこれが本心です。

私が欲しい言葉はその20年を生きる言葉ではなく今終われる言葉です。
例えば神仏に悪態をつけば即座に終わるというのであれば私は敢えてそうするでしょう。
死にたいと言えば数日後に病死できるのであればそうするでしょう。

そんな人間だからこうなったとも言われそうですが、
今すぐ終わりたい私にとって
今までの生き方やこれから先の生き方、今の考え方について説く言葉はもう無意味ですし不要です。

こんな私でもここに書き込むという事は生きる意味を見つけたいのでしょうか?それすらわからなくなってきました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分自身に学ぶ

生きることに、こうありたいと希望を持つこと。死にたいと願うこと。
それはあなたの考えの上では自由です。
しかし、事実に目を向けると、あなたの体は命を全うしようとしている。
人間は、価値観や考え方を中心に生きようとするので苦しみがつきまといます。

しかし、本来人間は自由です。ねばならないと言うことはありません。そういう自由なそんざいなんです。周囲の見る目や〇〇べきと言う思考で自分で自分を苦しめる必要はないのです。

物事の真理が見えると、自然と人に優しくなります。人が良くなると、周りの環境も整います。

だから、仏道は人を救います。
考えや思いは手放し、自分自身の体に学ぶのですよ。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

邦元様
ありがとうございます。

ものの考え方、とらえ方は恐らくどうにでもなる事とも思っております。
前向きになることはいつでもできますし、ある程度持続することもできます。
しかしある程度続いたらその最低限の結果がついてこないと
続けることすらできなくなります。
周り、社会がそれを許してはくれません。

邦元様のおっしゃることは分かりますが私にそのまま当てはめることは
今の私にはできそうにありません。
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前回自殺はできないと書きましたが
自分の意志というかしっかりとした意識ではそうなのですが、
以前もどうすればいいかわからなくなりズーット一人でいろんなことを考え込んでいた時の事です
それまでいろんな柵や家族のことでいっぱいだった頭が突然意識がフッと飛んだように(表現が難しいのですが)
何とも不思議な感覚になり
何もない真っ白い空間に一人ポツンといる自分がいて
頭の中は「死にたい」という気持ち一つだけ残ってというよりも、
それ(死にたい)以外の全てのものは今までもなかったかのような不思議な感覚を体験したことがあります。
あれがそのまま続いていたら恐らく何かにとりつかれたように自殺していたんだろうなと今振り返るとそう思います。
また、やはりいろんなことを考え込んでいた時のことです。
いつの間にか高い所にベルトをかけてそのベルトに首をかけたところで何かの拍子で「ハッ」としたこともあります。

これはいろんなことを悶々と考え込んでいるうちに気が狂いそうになるようなあの感覚、精神崩壊寸前でしょうか?
その寸前で無意識のうちに変な感覚になったり、やってしまたりするようです。
その時は一瞬で頭の中から全てが消えます。不安も恐怖も全て、そういう感情を持つ概念すら元々無かったかのように消えます。
このように自分の通常の意志に反して行ってしまう恐れが自分にはあるようなので
絶対自殺はしないという自信もありません。
ある意味そうなることを願う自分もいれば、今の通常の感覚ではその後のことを考えてしまうため恐怖でもあります。

やはり今の願いは早く終わることです。これは良くない事でしょうか?
自分の意志で終わらせるわけでなければ早く終わることを「願う」事は自由だと思うのですがいかがでしょうか?
(この場でそれを肯定することはできなのかもしれませんが)

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ