回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛は実践
愛とは論じるものでなく、実践するものでしょう。
愛とは何か知りたいのなら、知識を得ようとするのでなく、実際にその対象を愛そう愛そうと努力してみることだと思います。
しかしながら、愛とは何か仏教では一般的には渇愛と言い、好ましくないものになります。対象に執着し、我がものにしようと貪る心です。
しかし、たとえ入り口が渇愛であれ、その愛から逃げないで愛の実践を続けるならばやがて渇愛は破れます。
なぜなら愛の対象が私のものになることなどありえない事をまざまざと知らされるからです。
その時に単に愛という名の執着が終わっていくのか、より広い愛(信愛・慈悲・アガペーなどと称されるもの)に目覚めていくのかが私たちは問われているのです。
対象を私のものにしようとするのでなく、対象を対象をしてそのまま認め、そのまま愛する。
~してくれるから、とか
私を愛してくれるから、とか
ではなく、それをそのまま、ありのまま、愛する…
果たして私にそんな愛が起こり得るのか…あまり深く探ると絶望の境地が待っていそうなのでやめますが、とにかく愛は実践です。
愛そうとし、愛が破れ、より深い愛が開け、それでも愛せず、愛に問われる…
愛とは私の中にあるものでなく、私の外側から私にはたらきかけ、私に実践を問うものではないでしょうか。
以前に類似の回答をしたものもあったので貼っておきます
http://hasunoha.jp/questions/15634
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます、厳しいお言葉にも感じました。
いつでも愛を与えられているような気がするのに受け取れず苦しいです。
愛の実践。自分からなにか出来るように愛を体感したいです。
リンク先の回答も併せて考えてみます。