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亡くなった兄の夢

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有り難し有り難し 25

お忙しい中、お目にとめて頂きありがとうございます。
先日見た夢が気になっているので、ご相談させて下さい。

私には16年前に亡くなった兄がいます。悲しいことではありますが、自ら死を選びました。
その亡くなった兄の上に、もう一人兄がいますが、小さい時は亡くなった兄の方と遊んだりすることが多かったです。

先日、17回忌をつとめ終えたのですが、その数日後の夢に兄が出てきました。
私はビルのような所にいたのですが、そこはもうすぐ襲撃される事になり、敵のような集団に出入り口をふさがれ、閉じ込められる方に陥りました。
どうしようか悩んでいると突然兄が現れ、「(襲われると言われているが実際は)襲われない」と言われました。その後の記憶は曖昧で、目が覚めた時に、兄が助けてくれたという印象が強かったです。

昨日が兄の命日だったのですが、この夢に何か意味があるのか気になり相談させて頂きました。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道を求める機縁とされますことを

夢に意味を持たせればそういう意味がつくというだけのことですが、意味を持たせるのであればどのように意味を持たせるのかによって、あなた自身にはたらく縁・作用が変わりますから、この様に考えられるのも良いかと。
身内が数名自殺されてしまっている方が時々お寺に悩み相談に来られます。
周り民アガ自殺してしまったので時々暗くなって死にたくなる気持ちが襲ってくるのだそうです。
ご身内が亡くなってしまうと残された方が自分も後を追いたくなるような気持ちが襲ってくることがあるのだそうです。
その方は、ご相談に乗っているうちに声もお元気になられて良くなっておられました。
お兄さまはあなたを希死念慮から守ってくれたと考えられたら良いのではないでしょうか。
あなたを今でも見守ってくれているというメッセージとして捉えても良いのではないでしょうか。
亡くなられた方は、無くなってそれでお終いではありません。
亡くなられた後、生きている方々で「仏さま」という自分達よりも尊い存在にするのが私たちの務めなのです。
具体的には、死後も現在生きている私たちを精神的に導いて下さる仏様という存在として敬い、讃え、尊敬し、お祀りするのです。でなければ、ただの儀式をしているにすぎませんし、仏教でなくてもよいわけですし、宗教心の無い派遣僧侶の確約供養ビジネスでお経を読んでもらえばOKいうことになります。
宗教心は宗教心とうたっていても言行一致でなければなりません。
招かれる僧侶もしかり。
あなた自身もしかり。
よりよい人間性、宗教心を求めるための機縁とするのです。
その心が無ければ私は仏教はただの先祖供養で終わってしまうと思います。
あなたの中でお兄さまを仏さまの一人として敬う気持ちが生じ、あなた自身がこの世の中において、小さな宗教心が起こって世の中の善玉菌として勤めていきますというご報告がお兄さまに為されればお兄さまもお喜びになると思います。
「宗教心なき儀式・法事・供養は非法なり。」

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お兄様はいつも見守っていますから

拝読させて頂きました。
あなたの心の中深くに今でもお兄様がいらっしゃるのですね。そしてあなたをいつもいつもお見守りなさっておられるのかと感じました。
これからもお兄様を想い心を込めてご供養なさってくださいね。

私もお兄様が仏様のもとにて心から安らかになられて頂きます様ご成仏なさいます様にとお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏

お兄様は仏様のもとにて円満にご成仏なさいます。そしてこれからもあなたやご家族の皆さんを片時も忘れることなくお見守りなさって下さることでしょう。

あなたとお兄様とのご縁はこらからもずーーーっと続いて参ります。
どうぞそのご縁を大切になさりながらこれからも健やかに充実した毎日を皆さんとお過ごしなさってくださいね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お二方、ありがとうございました。
兄がずっと私たち家族を見守っていてくれると考えると、温かい気持ちになれるような気がします。
楽しい時は、楽しく過ごせることを感謝し、辛い時も見守っていてくれる事に感謝し、乗り越えられるようにしたいと思います。
もしかすると、兄自身に気がかりなことがあったのではないか、私の力不足で何か引っかかっているのでないかと心配になっていたので、胸のつっかえが取れました。このようなご知恵を頂けたことに心から感謝し、これからも供養させて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。

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