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戦争に対して

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最近、国と国の戦争について考える事があります。
今、戦争こそ日本では起こっていないものの、海外の国で標的の国の観光客が狙われてテロが起こったり拉致されたり。
敵対はしているし、日本も敵視されている様に感じます。

当たり前かもしれないですが、私は戦争はしたくありません。周りの人と話すと色々な考えがあります。
儲かる人がいるから戦争をするのだとか、宗教の問題で仕方ない。とかです。もしそれが事実だとしても、本当にそんな理由で戦争が起こされているとは信じられません。

守りたいものがあったり、大切なものや人を傷つけられたりして、その報復としてやり返してしまい、戦争が起こってしまうのでしょうか?
それならば少しの理解はできます。それ程までに強い思いがあり、私がまだ知らない感情なのだと思います。

実際にその立場になってもいないのに、偉そうな事を言うつもりではありませんが、ただそこでやり返してしまうならば戦争は終わらず傷つけあうばかり、理解もし合えないのではとも思います。実際に許せるかは別にして、許すという心を持とうとする事が必要なのではと感じます。
ただ事実として戦争が起こっていると言う事はそんな簡単なことではないのだと思うと、なぜ争いが続いていくのかが理解しきれません。
自分なりに戦争がなぜ起こるのか等調べてみたのですが、複雑な問題でありきちんと理解はできていないと思います。
ただ日常にある小さな喧嘩から大きな国を巻き込んだ戦争に発展しているのならば、、喧嘩の時の様に理解し合おうとしたり、譲歩したり、許し合う事で解決はしないのでしょうか。弱い姿勢を見せる事になってしまって良くないとかも言われます。お互いに譲り合いという様な生ぬるい事は通用しない競争の世界なのでしょうか。
一番大切なのは強い弱い勝ち負けよりも、平和やみんなが幸せである事だと思います。ただ、戦争に勝つ事で幸せになるという事もあるのかもしれません。
なんだかそれぞれが色々な思いを持っていて、混乱しています。(文章からお分かりかもしれませんが。。)
今まで私が信じていた考え(許しあう事など)では通用しない様に思える戦争。そして、私には現時点では遠い戦争に対して日常をどの様な思いで過ごしていけばいいのかと心が落ち着かない思いです。
自分の身近な幸せを考えていればいいのでしょうか?無関心も良くない様に思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

内側の平和

私もさくらさんと同じく最近の各国の動きをニュースで見て、聞いて危機感を持って見ています。

ほんとうにいつまで
やった、やられた、やり返せ。
やられる前にやれ。

こんなことを続けるんだろうと悲しく思います。

しかし、『戦争』という国家間、世界間の『争い』と同じ構図が
身近なところにあるんではないでしょうか。

あいつにこんなこと言われた、だから俺も言い返してやろう。

幼稚園児に喧嘩の理由を聞くと、○○君が先に殴ったからやり返したんだい。

彼氏が浮気してるから、あたしもする。

これ全部『戦争』と構図は同じです。
どれもみな小さな戦争です。

しかし、小さいからと侮れない。
小さなヒビから水は漏れていくのです。

『世界平和は家庭の平和から』
というような言葉がありますよね。
私はまさにそうだと思います。そしてこの言葉の続きをつけるなら
『家庭の平和は個人の平和から』
と続けます。

個人個人の一人一人の心の内が平和であるからこそ、家庭が平和になり、ご近所が平和になり、地域が平和になり、国家、世界と平和になるのでしょう。

でも、『世界を平和にしなければならない』
と思うのは間違いです。
目が外に向いています。それでは結局
『わたしがこんなにしているのに、平和に向けて努力しているのに。』
と『争い』へと繋がるのです。

仏教はどこまでも
『自分の内側に目をむける』教えです。
外向いてついている目の玉をひっくり返して内側を見つめる教えです。
あいつが、あの国が。
などと外ばかり見ていては『争う』のも当たり前です。

一人一人が内側を見つめ、そこに自らのいたらなさを見、
内側の平安にこそ幸せがあることに気づかねばならないのでしょう。

まず私たちにできるのはわたくし個人の心を平安に保つこと。
世界に無関心でいよう。
というのとは違いますよ。

まずは『私』なのです。
人を変えよう!と思うのが『戦争』の心なのです。
その、自分の心。いたらぬ心、恨む心、意外と優しいところもある心。
自分の心を平安に。
それが第一歩であり、すべてだと私は思います。

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生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上...
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敵なんていないのに

人と人の間に境はないのですが、頭の中で作り上げた自他の境が元で世界が動くのですから、恐ろしいものです。すぐに自分と自分以外というように、敵味方をつくる。本当はそうでないのに頭の中の考えはそれをするのです。身体はそんなことしません。目も耳は敵や味方を作らず、全てを受け入れます。そうした力が人間にあるのに。悲しいことです。

世界誰しもが仲間でありたいです。
土地や権力、お金、全部人間の作り事、考えの世界の話です。それ以前に存在しているのが人間なのになあ。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

戦争や政権に対して声を上げている人を見て(デモ等)私もした方がいいのだろうかという後ろめたい気持ちがどこかにありました。
私は戦争をしたくないのに何も行動していない事が卑怯な事のように感じていました。
だけど、どうしても気が進まない自分がいました。

戦争はしたくないと思う事、戦争にならない様に何か行動する事は私にとっては人を変えようとする事になってしまうのかもしれないと思いました。
戦争というものに対して、自分が本当はどうしたいのか。私の心の平安を1番に考えた時にどうするのか。
回答を読むまでは自分の心の平安を1番にしようとする事は、無関心で自分の事しか考えてない事になるのだろうかという気持ちがどこかにありましたが、自分にできる事はただそれであるのだと思いました。そこから何か波及する事を期待して行動するわけではありませんが、ただただ自分を見ていく事が私にとってより良いやり方なのかもしれないと思いました。

質問、お礼、と、乱雑な文となってしまいましたが、、お力添え頂きありがとうございました。

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