回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を生きる他なし
東京大学で悟りを開いた井上義衍老師の脳波の実験をした時のこと。
実験中、ドン!と大きな音を立てました。
老師の脳はその音のみに反応して、その後は乱れが無かったと言います。
他の被験者は、ドン!と刺激を与えた後も乱れっぱなしであったと言います。
また別の実験で、坐禅中の禅僧の脳波を測定した時の話単調なリズムをずっと繰り返しで流しましたところ、禅僧は毎回毎回、新鮮に出会っていて、他の一般の方は、単調なリズムに飽きて、関心が無くなっていったというデータもありました。
これをヒントにしてみてください。
他人に影響を受けたと言ってもソレも自分です。
ドレミファソラシド、きけばソレになる。ソレも自分です。いつでもライドオンしています。
この文字をみればこれになる。これに転ぜられてゆく。いつでもライドオンです。
誰もが、向かっている事に転ぜられていく。それは立派な働きなのです。
ただし、あなたのいう所の影響をされるというのは、人に左右される、心が振り回される、という事でしょう。
あなたの問題は、自分を注ぎ過ぎなのかもしれません。
たとえば私の横では子供が大暴れをしたり、ワイフが怒ったりしています。
そこに私が首を突っ込み過ぎる、自分を注ぎ過ぎるとどうなるでしょう。
子供はダブルで怒られることになったり、ワイフも余分な首を突っ込んでくれるな、という事にもなりかねないことだってあります。
だから私は、それをそのままに、レリゴーしています(笑)。LET IT BEしています。THIS IS ITのままです。
あなたが親や、職場の人や、他者に影響されないためには、心が不動であることです。
お不動さんを念じるもよし、坐禅で本当の不動産を得るもよし、カラオケで流れている曲を無視して全然違う曲を歌うもよし(笑)
まずは受け止めて。
そこから自分の意見をちゃんと言えるようになりましょう。
すんなり受け入れる
私たちの生活は、周りに影響されて成立しているように思います。
影響されていないことは、ないでしょう。しかし、一つ一つの出来事に自分で価値判断をつけているから、
納得できずに、苦しむのでしょう。
ある意味自分の我をしっかり出しているからその我に一致しないことで、苦しむのだと思います。
よく言う、「ありのままをそのまんまに受け入れる」ということができれば、影響されていても、それにたいして不満が生まれることがありません。
質問者からのお礼
有り難いお言葉、ありがとうございました。やはりこれには訓練が必要なのですね。
どこかで、不動になることで孤独や融通の利かなさに困るのではという、自分の中の甘えが生じている部分があるのだと思います。
お話にもあった坐禅、前から気になっていたのですが、そういう修行なのですね。機会を作って是非参加してみます。
ありがとうございました。
参考にさせていただきます。