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娘が亡くなって1ヶ月

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有り難し有り難し 24

私の誕生日に亡くなった八ヶ月の娘。
もう一月が経ちましたが
どうしようもなく悲しく涙がでてきて
祭壇の前で泣きながら骨をだっこします。
布団での窒息。私の不注意で起こしてしまったことです。
なくなる前の日
泣き止まない娘を突き飛ばして自分も泣きました。
怒ってしまいました。
それが、最後になるなんて思わなかったから。

娘はこれから未来があったのに
私がつぶしてしまったのです。

毎日地獄のようです。
帰ってきて欲しいです。
1人目の子供だったので次の子を生むことも怖くて考えられません。

でももし、亡くなった娘が帰ってくるのなら生みたいとも思うのです。
もう1度もどってくることはあるのでしょうか。

娘は怒っていますか?
娘は今どこにいて
どう思っているのか知りたいです。
きちんと天国にいけるでしょうか。

娘に言いたいことがたくさんあります
祭壇の前で伝えても娘に伝わりますか?

そして亡くなった子がまた帰ってくることはありますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いのちのふるさと

あかりさんこんにちは。
ご質問拝見いたしました。
あかりさんの心中を思うとこちらもつらいです。

私の妹は3年前に亡くなりました。自死でした。
母は今だに泣いていますし、悲しんでいます。そして後悔の涙を流しています。
きっと一生すっきり、何事もなかったように過ごすことはできないでしょう。家族全員同じだと思います。

でも私たち家族は泣いているばかりではありません。悲しんでいるばかりでもありません。

極楽浄土という場所へ
先立った祖父母と共にいるからです。
極楽浄土という場所は
いうなれば『いのちのふるさと』です。
私たちは長い、短いの差はあれど、長くて100年ほどの期間限定でこの世に生を受けます。
100歳で長生きだ。といっても宇宙的、地球的に考えれば朝露のようにはかない一瞬の時間です。

その一瞬の人生のあと、私たちはどこへゆくのか、限りあるこのいのちを帰す先があるのです。

極楽浄土というところには
阿弥陀如来という仏様がおられます。
阿弥陀如来の国です。
阿弥陀如来は別名
『無量寿仏』と呼ばれます。
簡単にいうと
計り知れないいのちの仏様。
という意味です。

私たちはたかだか100年。
対して阿弥陀如来は計り知れないいのちの仏様。

いのちは、一人一人のいのちは、両親、祖父母、曾祖父母、さかのぼると1人でもかければ存在しない『いのちのバトンリレー』を経て今のいのちになってますが、そのいのちの出どころはどこなのでしょう?

計り知れないいのちを出どころとし、私たちは生まれて来たんです。

その私たちの、いのちの根源、母親ともいうべき存在を阿弥陀如来(仏)と呼ぶのです。

その阿弥陀如来に、すべてをおまかせする言葉が『南無阿弥陀仏』です。

私たち家族がどれほど泣こうがわめこうが、妹は帰ってはきません。

だから私は、
阿弥陀様うちの妹頼みますよ。
南無阿弥陀仏。
こんなお兄ちゃんやけど、見守ってくれよ。
南無阿弥陀仏。
ただ、理屈もなにもなく南無阿弥陀仏。
様々な南無阿弥陀仏を称えて日暮らしをしています。

あかりさん。
大丈夫ですよ!
お子さんはいのちのふるさとへ帰られています。ふるさとからはこちらがよく見えるようになっていますからあかりさんのことを実は誰よりも心配されているでしょう。
いずれゆくのです。お互い土産話をたくさん用意しておきましょう。

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