仏壇に気持ちよく手を合わせれない
長文、汚い文章ですみません。
私は1年半前に義実家の隣に家を建てました。
以前住んでいた家も車で2.3分のとこにあり週末は義実家にいき、夜ご飯もご馳走になり、そのころはとても気さくな優しい義父、母のことがとても好きでした。
家も私から早く義実家の隣に建てたいと言い出しました。(主人は長男なので隣に家を建てるのは絶対でした。)
しかし家を建てすぐに、主人から
『毎朝子供たちが学校にいく前に隣の家に行って手を合わせさせてな。』
と言われ、私は毎朝?とてもバタバタする朝に行くの?と思ってしまいました。
1、2分のことですが私はその朝の1.2分はとても大切です。
主人も会社にいく前に必ず隣に行って手を合わしています。
私は意固地になってしまって私が出掛けるときはわざわざ隣の家に行き手を合わせにはいきません。
その日以来、毎朝子供たちが隣に行って手を合わせ大慌てで帰ってきて学校に行く様子を見ていてなんだかイライラする日々を送っています。
仏壇に手を合わすのが嫌なわけではなく、私が隣の義実家にいくときは必ず手を合わしています。
しかし毎朝忙しい時間にする必要はあるのか?
余裕がある時間ではダメなのか?
と葛藤しています。
私の実家には仏壇がなく手を合わせる習慣もないので、それが嫌だと思う原因なのかと考えたり、
私が我慢すれば何事もないのかと考えたりしています。
毎日隠れるように出掛け、手を合わしていない後ろめたさをこれから何十年も感じて生活するのは苦しいです。
毎日わざわざ隣の家に行き手を合わせさせている
義父、母のことも嫌いになりつつあります。
手を合わす1.2分が嫌だなんて、本当に自分は心が狭いな。と思ってしまいます。
出掛けるときは手を合わせにいくことが苦ではなくなる方法が見出せません。
どうかこんな私にアドバイスを頂けたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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家族の生活も、みゆし様のお気持ちも大切に
あまりご自身だけを責めないでください。そして何が嫌だと感じるのか原因を考えてみましょう。
私としてはお話しをお伺いしていて、ご主人に相談ではなく決められてしまったことが納得できなかったのかな??と感じました。
これまで義両親とは仲良くしつつも一定の距離というか、区切りがあることでよいバランスが保たれていたのではないでしょうか。
お家が隣になって、住まいは別でまだ区切りは保たれていますが、毎日毎朝手を合わせに行くとなると生活の問題です。家族の生活の話を相談ではなく一方的に決められてしまったことがよくなかったのかなあと…想像します。
ご主人は長男とのことで、そのお仏壇はゆくゆくはご主人が、つまりみゆし様ご夫婦が守っていくことになるのだと思いますが、今から毎日毎朝手を合わせなければならないのか、そして家族もそうしなけれないけないのかという問題ですね。
習慣になっているとはいえそれは宗教行為ですから、個人の信仰をどう尊重するかという問題でもあります。
私としては、義両親のお宅にお邪魔する時は必ず手を合わせるというのでも充分だと思いますし、それだけでなくやはり毎日毎朝かかさず仏様やご先祖に感謝を表したいというのであれば、みゆし様のお宅に小型のご本尊(今は携行型や現代仏壇など様々なタイプがあります)を安置してもよいかなとも感じますが…こればかりはよく話し合わなければいけませんね。
しかし、お子様が今からそうした機会を習慣として持つのは、宗教教育・情操教育の面から見てもよい影響があるのかなあと一僧侶としては思います。
あとはご家族の生活・個人の信仰・夫婦の気持ちのバランスですから、よくよくご相談することが大切ではないでしょうか。
ご主人の実家で当然だったことがそのままみゆし様やお子様も強制されることはありません。しかしご主人としては当然だったわけですから、人から言われないとわからないのかもしれません。
けしてみゆし様の心が狭いなんてことはありませんよ。
大切な問題ですから、よく話し合われて、よい形がみつかりますことを念じております。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
心が狭くはないと言ってもらえて少し気持ちが楽になりました。
ありがとうございます。
手を合わせて褒める人はいても、怒る人はいないので、子供たちが手を合わせていることにイライラしないで見守ることにします。