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ありがとうのお気持ち

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有り難し有り難し 11

いつもアドバイスをいただくことができて頭でまとめてます。ありがとうございます。アドバイスいただいたことをちゃんと心にとめています。ですが落ち着かないときにまたご相談させてもらっています。同じようなことを何度もすみません。色々なお話しを聞かせていただいてその都度強くなろうと受け止めているのですが弱い自分になってしまいます。頭に何度も心にこれからもよろしいでしょうか。きちんと聞いてます。すみません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつでもご相談ください。

過去に二度ほどご縁をいただいております。やはり心配です。
私としては前々回の質問への中田師のご回答に同意です。(以前に私もそういう回答をしておりますが…)

せいらさんが強くなれば済む問題でしょうか。

そして果たして強くなることなどできるのでしょうか。

また、強くなったとして、イジメや嫌がらせがある職場でせいらさん一人がそれを気にしなくなればいいなんて強さは本当の強さでしょうか。

「理解してもらえない」「努力はすでにした」という立場に固執するのでなく、どこまでも理解を得るために努力し続けることが大切ではないでしょうか。

けして楽な道ではないでしょう。でも耐える苦しみと、理解を得ようと努める苦しみでは苦しみの先にあるものは変わってきます。

仕事はみんなでするものです。その職場でやりたいことがあるのでしょう。ならばチームワークは必要です。

「体調がすぐれないことが多く欠勤が多くて申し訳ございません。」
「迷惑をおかけして本当にすいません。」
「いつもカバーしていただいてありがとうございます。本当に感謝してます。」
「ウソはついていません。ごまかすこともありません。私なりに精一杯しておりますが、至らぬところがあれば教えてください。よろしくお願いします。」
「教えていただいてありがとうございます。」

一つ一つの真摯で誠実な態度の継続はきっと伝わります。一人の理解者が生まれることでよいご縁がつながっていくことでしょう。

もちろんまたいつでもご相談ください。何度でもお話を聞かせていただきます。一緒に考えさせていただきます。

でも実践するのはせいらさんです。応援しております。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

せいら様こんにちは。
前までのご質問に目を通していないままで書きますので、的外れになっていましたら聞き流してくださいね。

変な言い方をしますが、仏教は望みを叶えてくれる教えではありません。仏様はその解決方法では苦しみは終わらないと考えておられるからです。医療関係で働かれているせいらさん。風邪なのに「一生懸命頑張って目薬さします頑張ります!」という人がいたらどう思いますか?「いやいや頑張る方向、方法が違うでしょ」と思いませんか?仏教は望みを叶えることではなく、まず風邪の原因を知りましょうという教えです。

弱い自分を感じている人は「どうしたら強くなれるのか」と考えます。強くなったら解決すると思っています。実は世の中に強い人はいません。他の人はどう考えているのか。「強くなろうと思っていない」のです。弱い自分が問題なのではなくて、強くならなければならないという「思い込み」が苦しみを生み出しているのです。

想像で話しをしますがせいらさんのお母さんはひょっとしたら不安を抱えた人でせいらさんの気持ちを聞いてくれなかったかもですね。あるいは「こうするべきよ」という「正しさ」を教える人だったということはないでしょうか。性格の多くは幼少期の親との関係が影響している場合が多いです。お母さんに心の余裕がなかった→受け入れてもらえなかった→自分にはその価値がないんだと「思い込み」ます。

成長するにしたがい「何者かにならなければ価値がない」という思考が常識になります。正しくいきなければならない。という正しさに執着してしまう。正しい自分でいなければならなくなります。見捨てられる恐怖がつきまといます。自分が嫌いなのは自分が好きになりたい裏返しです。ただ、好きになりたいのは「理想の自分」だけなのですが。

「弱くてもいい」「怒ってもいい」「嫌だっていってもいい」「嫌われてもいい」「落ちこんでもいい」と声に出すこと。自分が否定している「自分」にOKを出してください。これはリハビリです。言いにくければ「今はいい」と今はをつけるとハードルが下がると思います。ノートに嫌な部分を書き出して「それも私の一部」と言って抱きしめる。弱い自分が出てきたら「あー自分を大切にして欲しいんだねー大丈夫だよー弱くてもいいんだよ」と声にだす。

頑張らないことを頑張ってみてください。あなたは立派で価値のある人です。

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせていただいております。

質問者からのお礼

ありがとうございますご心配して下さり感謝しています。
目的までは耐える気持ちは変わらずです。思っていってくださるのにごめんなさい。
変わりたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ