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萎縮について

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お世話になります。仕事場で集団で刺のある言葉や心ないやり方にいつも怖くなります。とても萎縮してしまい行くのが毎日怖いです。以前からお坊さんが言われた様に辞めれば良いのですがあと少し(今年中)だけでも目的の為にだけ居ないといけません。それが終わればその後の事はここへ執着せず自分一番で良いかと思っています。なのでその期間だけは萎縮せず今の自分より堂々したいです。常に意地悪を受けるから萎縮してしまうし味方は皆辞めました。本当に今は居場所がない中で残りを過ごそうとしてます。昔の学校先生に相談すると「体を悪くして休んでしまうのも自分なわけで、仕方ない事でもある為それに対してつべこべ言う人や意地悪するのはその人も自分の事をコントロールできていないから放っておくべきだ。良い意味で適当になること。色んな事を言われる、されると捉えるのでなく言わせてあげてるんだと一歩先をいけ。色々またいってくれるわねと。いくらあなたが暗い顔や泣いた所で周りも自分も変われない。一度きりの人生なわけで今その場で頑張るならばその時笑っていなさい。その方が自分の人生得だ。」と言われました。お坊さん方が言われた事と似た所があるのですが、萎縮する自分が嫌なのですが悪い事や周りの怖い所に萎縮する必要はないのですよね。萎縮すると苦しいです。一度2度精神的に辛いのも上司にいったことがありますし、相談窓口にもいった事があります。けれど辞めて解決する方法や、私がひたすら謝る選択しかなく理解しあえませんでした。その後これ以上いうなと手紙がありました。休むくせにと。それについては申し訳ないと思っておりよく謝りまたどんな時も謙虚に関わらせてもらっています。でも意地悪する事にはまっていたりそれが普通になっているから変わりませんでした。だから目的が終わるまではここで過ごそうと思ってます。今までご説明ができておらず辞めたくないしかお伝えできておらずすみません。理由あって我慢しているのでどうかご理解のほどよろしくお願いいたします。萎縮をしないことどうかご相談のって下さい。もう本当に自分の事も変えたいです。必要なことと思っています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

委縮は自然な反応。萎縮してもいいと思う事。その直後が大事。

突然ひょうが降ってきたら誰でも身を縮めます。
変な人が入ってきたとします。みんな委縮します。
政治家さんだって苦しいところを突かれれば委縮します。
昨日まではミサイルが飛んでくるんじゃないかってみんな委縮していました。
Xデーが過ぎれば元通り。
委縮は最悪の事態に対する反応です。
委縮していいのですよ。
萎縮をしてはいけないという想いに縛られているだけであろうと思います。
要は、過去の恐怖体験に似た事に対するその再現を恐れる体の反応であって、委縮自体は問題ではなく、それを悪く思うことが自分を苦しめていることに気づいてみてください。
私や猫なんてなんて冬場はコタツで丸く委縮しっぱなしですよ。(それは違う)
ただし、その直後、そこで言われたことを取り込まないことです。
脳内に入れて自分のこと化してしまうと、他人に慣らされたクラクションでびっくりして前を見ないで交通事故を起こすようなものです。
冷静なドライバーは仮に自分にクラクションが鳴らされたとしても、道路状況が変わるわけではないので冷静にハンドルさばきをします。
結論:テンパりOK 萎縮OK
その直後に自分の想念に憑りつかれて思いの世界に行かないこと。
やるべきことをやり続ける。
何か損したような気になったり、失われたような気持ちが生ずるかもしれませんが、
単にビックリしただけ、ただ怖かっただけ。
それを今振り返っても、何かが失われたわけではなく、そういう状況があったというだけ。
今はもう、どこにもありません。
委縮した後もその現場は続いているのです。
あなたのXデーは過ぎました。
仮にXデーがやってきてもそこを過ぎれば問題ありません。
自分が恐怖していることのちゅうしんが本当はどこなのか、詳細に見つめてみてください。
本当は、ご自身の反応の方に苦しんでいたことが分かるでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

こんばんは。

 学校の先生、良いこと言いますね!なるほどその通りだと思います。
 周りの意地悪はあまり気にせず、あなたらしく。

 つらい事があったらまたここに吐き出しに来てくださいね。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。自分のなかでも色々考えました。またご相談させて下さい。

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