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空白の時間

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

昔からとても気がかりなことがあり、もしかしてそれが原因で日常で躓くことが多いのではと思い質問をさせていただきます。
私は1歳の頃に父と離れその後は乳児院、祖母に引き取られ小学一年生までを過ごしその後母と暮らすのですが小学六年生の頃に児童施設に入所しました。
8つ歳の離れた弟も同じような道を歩みました。
私のずっと気がかりなことというのは本来だと覚えているであろう月齢の記憶がすっぽり抜けてしまっていることです。
薄らと覚えているのは児童施設に入所してからの日々かなぁと思っています。
小さい頃、大好きな祖母と貧しいながらにも幸せだった日々や成長の節目(例えば自転車に乗れた日のことや一緒に遊んだ近所のお友達とのこと)であろう出来事、思い出してみようとおもっても思い出すことが出来ません。
でも唯一ぼんやりと覚えているのがたぶん3、4歳くらいのころに祖母の顔そり用のカミソリで手を深く切ってしまいその時たしか祖母はとても焦りそして怒られたような…
それもぼんやり過ぎて光景は浮かんできませんがそういう出来事があったなぁという程度に覚えています。
祖母はとても厳格で私を一生懸命に育ててくれたかけがえのない人です。
今は自分の生まれた九州のお寺に眠っています。

今の私はいつも明るく過ごしています。
高校生と中学生になる子供もおり、毎日色々ありながらも人間らしい生活をさせてもらっています。
でも時々、本当の自分はどんなものなんだろう…と考えることがあります。
こうして笑っている自分は本当の自分なのか、本当はすごく歪んだ人間なんじゃないか、親からも愛されなかった私はきっと人とはどこか違うんだろう、そんな変なことを考えてしまいせっかく仲良くなった方やお世話になった方なのに自分のほうからその人と距離をおいてしまいます。
親身になってくださる方にこそそうしてしまい、うわべだけのお付き合いに近い人とはわりと長く縁が続きます。
そのことがとても虚しく感じます。
人を大事にしたい、縁を大事にしたいと思っている気持ちとは裏腹で…

もしかすると、こういう私の欠落したところは昔の記憶のないわりと長い期間と何か関係があるのかなぁ…反省するべきところがあるのかなぁ…そんなふうに思うととても気になりご相談をさせていただきました。
とてもわかりずらい文面になってしまいましたが、どうか宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

バラバラでいっしょ

中々簡単には人に語れないような生育環境についてお話をお聞かせくださったことと思います。ありがとうございます。
そして現在は立派にお二人のお子様を育てながら明るく過ごされているとのこと、素晴らしいことだなあと頭が下がる思いが致します。

さて、「昔の記憶がないこと」と「日常生活のつまづき」について、それが関係があるのかどうかと問われますと、私は心理学等の専門家ではありませんし、その「つまづき」がどういったものかにもよりますので何とも申し上げられません。
生育環境というものはその人を形作る大きな要因ですから無関係ではないでしょうが、それがその「つまづき」の直接原因かどうかはやはり「つまづきの内容」しだいだと思います。

もしそれがおっしゃられるような人間関係の内容だとするならばこれは推測ですが、
自分でも記憶がないことに対する不安、何が出てくるか分からない恐怖…そうしたものに他人に触れて欲しくないという防御反応があるのかもしれません。
しかし一方ではどんな私であろうが受け入れて欲しいという要求もあることでしょう…だからうわべだけのお付き合いが虚しいと感じるのではないでしょうか。

「本当の自分」とは「今・ここ」の自分です。他のどこを探しても見当たりません。

私というのは私が私として独立して存在しているのでなく、縁によって存在しているので、私を成り立たせる縁によって私は変わってきます。あの人の前とこの人の前での私が違っても、どれもそのまままるごと私です。そんな私を

知られたくない、知ってほしい

そんな両方の思いの葛藤があるのかもしれません。しかし過去に何があろうと「今・ここ」の「小さなたまごさん」が本当のあなたなのですから、自信を持って人と関わってみてください。

自分を隠さず偽らず、「これが私だ!」と胸を張っていられるならば、それで縁が続こうが離れようが虚しくない毎日になると思います。

「人と違う」と恐れることはありません。同じ人など一人もいないのです。それなのに人は自分と同じ(ような)人を求め、同じでない(ような)人を仲間外れにしてしまいます。

でも本当は違うからこそ誰もが認めって生きていける世界が開かれているのです。その世界を開くのは仏教の智慧の眼だと私は思っています。

バラバラでいっしょです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お返事を何度も読み返しました^^
そうですね、、どんな自分も自分。
もっと自信を持ってこれから出会っていく人達との縁も大切に生きていきたいと思います。
昔を振り返り後悔したり反省したり、それよりこれから先の人生をしっかり生きていく。

有難うございました^^*

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