自死で夫を亡くし死にたいと
先日夫は私が寝たのを見計らって、自宅を出て、1人で静かに自分の命を絶ちました。
残されたのは1通のメールのみ。
メールには、仕事で躓いてしまい、相談せず決断してすまないという内容も書いてありましたが
二週間たった今でも、わかるはずのない理由を求め、自分ではコントロールできない心と身体に戸惑いながら生活しています。
夫が出ていったあの時目が覚めていれば
あの時こうしていれば…異変に気づいていれば...
まだ夫は私の隣にいたんじゃないかと思うと胸が苦しいです。
夫の自死は息子には隠しています。
助けられたんじゃないか
あの時気がついていればと
自死を知って苦しませたくない
置いていかれたと思って欲しくない
親の死は印象に残るでしょう
人生に躓いた時、自死という選択肢を与えたくない
などという、私の勝手な願いのために隠しています。
夫の最後のメールには、息子達へのメッセージも書いてありましたが、自死とわかってしまうため、未だ見せていません。
真実を偽って最後の言葉を届けることもしない
私の行いは間違えているんじゃないかという罪悪感も常にあります。
私は間違えているでしょうか?
何気ない日常が幸せだと信じて生活していたのに、今は何気ない日常が1番苦しくて、いつも行っていたスーパーで買い物をすることもできません。
苦しくて苦しくて、
一緒に生きれなかったなら
なぜ一緒につれていってはくれなかったのか
いっそあとを追って死にたいと、毎日毎日思うのです。
でも傍らで同じように涙を流す息子を見て我に返ります。
そんな自分がとても恐ろしく、コントロールできない自分の心が、いつあやまった判断を下すのか心配です。
夫はどこにいったのでしょう。もう苦しんでいないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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旦那様は安らかに眠っています
旦那様の決断は残念な方向に行ってしまいました。さぞご愁傷のことでしょう。
お子さんに真実を伝えるのは悪いことではないと思います。自死という選択をしないために、悩みを抱えない生き方を導いてあげる必要があります。お父さんのぶんまでしっかり生きようと、話し合ってはどうでしょう。
あなたもご自分を責めず、今の現実を受け入れて、もし、とか今と過去の記憶を比較することをやめましょう。今、目の前の様子に生きてください。過去や周りとの比較は、自らを苦しめる原因になります。過去は記憶、それより今の現実を生きるのです。未来でもない、今です。
旦那様が仏道に生きる道、救いの道に生きることを残してくれたと思い、生きることに向き合っていくのです。
質問者からのお礼
邦元様
回答ありがとうございます。
そうですね。
子どもたちに真実を伝えることは、悪いことではありませんね。
もう少し冷静に考えてみたいと思います。
確かに私はあの日から、過去にとらわれて、現実を生きることができなくなっているのかも知れません。
どうすれば今の現実を生きることが出来るのか、まだ分かりませんが、模索してみたいと思います。
ありがとうございます!