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主人のメッセージなのでしょうか

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有り難し有り難し 12

こんばんは。
最近、些細なことですが、理不尽なことを言われて、イラっときたり、落ち込むことが続きました。
今までは、主人が帰ってきてから、「あーでもないこーでもない」とトイレにもついていき、主人が聞いてるのか聞いてないのかもお構いなく、話すことと、同意を得ることで自分は間違っていないという安心を得ていたんだと思います。ですが、そんな人も居なくなってしまいました。
誰かに話してもしっくりこなかったり、話すにも恥ずかしかったりです。特に今回の理不尽さには頭にくるのに、聞いてくれる人が側にいません。
私はそうした些細なことも発散できずにこのまま独りで溜め込んで生きていくのだなと気付いたとき、とても悲しくなりました。

ですが、そのときふと、主人に
「俺のことは気なしなくていいから、前に進め」
と言われたような気になりました。
「この先いろんな辛いことがあるかもしれないけど、全力で守るから、もう少し強くなれ」と。あまりにも辛いことに思えましたが、今の私を見たら、確かに彼なら言いそうなのです。
果たしてそれが本当に主人の願いなのか、私の深層心理のようなもので、そのように思いこんでいるのか。夫婦にしかわからない、「あうんの呼吸」のようなものにも感じます。
この直感のようなもの。信じて進むべきでしょうか。少しこわいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そうでしょう

それはご主人からのメッセージでしょう。

それが仏様となったご主人の「はたらき」でしょう。

ゆこ様が「今」、再びご主人に出遇えた瞬間でしょう。

ご主人の願いが、ゆこ様の願いでもあったのでしょう。夫婦の気持ちが、願いが通じ合っていたのでしょう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

お念仏がこぼれます。

恐れずに、いや、恐れながらでも大丈夫です。

ささいなことでもお仏壇の前でご主人に語ってください。溜め込まないでください。一人ではないのですよ。

また、出遇えるでしょう。

南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武さま。おはようございます。
お返事ありがとうございます。

私はそんなに強くないのに、なぜこんなにも辛い経験をしなくてはならないのかと、もがきながら一寸先も見えない暗い道をひたすら歩き続けているようです。少し気持ちのバランスを崩すと落ちてしまうのではないかと、ハラハラしながら一本の綱の上を歩いているようです。

「恐れながらでも大丈夫」信じてみます。

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