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人からどう思われているかが不安です

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他愛もない会話をしているときに相手からどう思われているか不安で自分から話を振れません。

現在学生なのですが、授業の間の休憩時間などで日常的な会話をするときに話がなかなか振れません。自分から降っても3回に2回くらい話が変な感じで終わったような気がします。

また、特に発表をしている時など笑われることがあります。これは心当たりがあって、義務教育の半分以上の期間、不登校でその間同年代の子どもと話をする機会が殆どありませんでした。その間、家でテレビのワイドショーや国会中継を見ていることが多かったので話し方が少し同年代の学生より硬くなっているのかもしれません。別にそれで嫌われている印象はないのですが、自分は真面目に話をしているのでなんだかなあという気分になります。

ただ、友達が少ないわけではなく、クラス内の複数の仲良しグループをいったりきたりしている感じです。なので、同性のクラスメートとは殆ど全員と話ができ、異性の友達も並かそれ以上にいると思います。ただ、いじめを過去に受けていたことや上に書いたようなこともあり、信頼できる(少し深い話をできる)ような友達がいないし、誰が信頼できるのかもよく分かりません。

友達はいても何か違う領域にいるような、見えない壁があるような気がします。
なので、嫌われないようにという意識が強く、気楽に話ができないことが多く、家に帰ってからもあのときこう言ったほうがよかったかなとストレスが溜まってしまうのですがどうしたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

バカだと思われても平気で生きる

人が何と思おうがあなたが何か変わるわけではありません。
だからと言って何でもしていいわけでももちろんありません。
かといって自分がどう思われているかどうかばかり考えれば常に人の目を気にした人生になります。人からどう思われるかどうかよりも、人に何をしてあげられたかどうかを問うことが大切です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

嫌われないようにすると 誰とも信頼関係が築けない

nhbv1204さん

人と関わっていれば
好かれることも、嫌われることもあると思います。

喧嘩をして、そのまま離れてしまうことあれば
仲直りすることもあると思います。

全ての人から好かれようとすれば
媚びて自分を失ってしまいます。

誰からも嫌われないようにすれば
不安に駆られ、自分を見失ってしまうと思います。

他者に配慮し、思いやりを持つことは大事ですが
ちゃんと本音を伝えていく

受け入れてくれる人もいれば
受け入れてくれない人もいると思います。

受け入れてくれる人と
本当の関わりをつくっていく

誰も受け入れてくれないのであれば
その時は自分を問い返していきましょう。

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いろいろな人とお話できるなんてスゴい!

たくさんのお友達を作れるなんてスゴいですね。羨ましい能力です。

過去のことが気になっているようですが、いまのお友達は、過去とは関係ない今のお友達ですよね。何も気にせずそのままで良いと思いますよ。話し方も人によって特徴があっていいことですし、人を傷つけるような悪い話でなければ、大丈夫です。そして、話しているうちに気の合う深い友達も自然にできますよ。慌てずゆっくり思いつめないようにしてください。ありのままでいいのですよ。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ